2021年12月25日(土)の手紙

2021年12月25日(土)


『また、愛のうちに歩みなさい。キリストもあなたがたを愛して、私たちのために、ご自身を神へのささげ物、また供え物とし、香ばしいかおりをおささげになりました。』エペソ人への手紙5章2節


使徒パウロは、エペソ人への手紙の5章の中で三つの歩みについて語っています。

その第一は、光の子として。
第二は、賢い人のようにと。
しかし、それに先立って勧めていることは、「愛のうちに歩みなさい」ということです。

私たちは光の子としてきよく、賢い人として時代を識別して歩むことがたいせつですが、またクリスチャンとして、愛のうちに歩むことのたいせつさも、パウロは教えているのです。

「歩む」とは、生活することを意味しています。
クリスチャンは「愛の中に生活」すべきです。

それは、愛される神の子として、神にならった生活をすることです。
また私たちを愛してご自身を十字架につけられたイエス・キリストの御姿に似る道です。

キリストがご自身を十字架につけられたとき、それは、キリストを信じ、従う者への模範となりました。

それは、第一に、神へのささげ物でした。
キリストにとっては、神こそ最大の愛の対象であり、愛の目標でした。
主イエスは全身、全性、全霊を神にささげて、父なる神を愛しておられました。

私たちもキリストにならって、全身、全性、全霊を神にささげて、神を愛すべきです。
それは、神を第一とした生活をいっているのです。

第二に、神への供え物として。
主イエス・キリストは私たちの贖罪のために、神の御前に全く犠牲の供え物となってくださいました。
それは、自己を犠牲にしたささげ物でした。

全くご自身を無にした供え物であり、愛の献身でした。

私たちもキリストにならって、全部を神にささげる、すなわち、愛情も意志も、所有物も時間もすべてを神に明け渡した生活をすべきです。
供え物とは、犠牲にするものをいっているのです。

第三に、香ばしいかおりです。
香ばしいかおりは、人をも喜ばせます。
まして、神へのささげ物は神の御心を喜ばせます。

私たちの供え物は、自分の意志に従うのではなく、神ご自身の御心にそうことです。
それは、神に喜ばれる奉仕をいっています。
自分を犠牲にした奉仕こそ、神の御心を喜ばせているのです。

このように、クリスチャンはキリストにならって、全く自分自身を神にささげ、神を第一とし、無私の生活、無我の奉仕をすべきです。
これが愛の中に生きる生活です。

私たちの自我は、キリストとともに十字架に死にました。
今、私たちの内に生きていてくださるのはキリストであり、聖霊です。
それは愛そのもののお方です。

クリスチャンはこの愛のお方によって生きているとするならば、それは愛以外にはありません。
愛にかおる、かおり高いクリスチャンとして励もうではありませんか。

God Bless You!!


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