2021年12月22日(水)の手紙

2021年12月22日(水)


『まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。』ヨハネの福音書12章24節


神が私たちを子として選ばれたのは、実を結ぶためであるとヨハネの福音書は書いています。

その15章16節に、「あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり」とあります。
これは主イエス・キリストの訣別の夜の談話の一節ですが、主イエスの願いは私たちが実を結ぶことでした。

聖書には、クリスチャンが結ばなければならない実が三つ示されています。

第一に、悔い改めにふさわしい実。
これは、バプテスマのヨハネが当時の人々に語ったことばですが、今日も、クリスチャンが最初に結ばねばならない実の一つです。

クリスチャンは神の御前には悔い改めますが、それにふさわしい実を結ばないことがあります。
これが信仰生活を弱くしているのです。
私たちは、神の御前に真実な悔い改めをするとともに、人の前にも謝罪、償いをすること、また、隣人と和解することが必要なのです。

第二に、聖霊の実。
「御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。
このようなものを禁ずる律法はありません」と。

これは、主イエス・キリストとともに死んだ者の心に宿られる聖霊によって結ばれる品性の実です。
聖化の恵みです。

私たちは、クリスチャンという名目だけでは、まことのクリスチャンとはいえません。
クリスチャンとして、この御霊の内住を堅く信じて、御霊の実を結んでいる実質のあるものとなるべきなのです。

第三に、福音の実。
これは福音があかしされ、伝えられるところで結ばれる実です。
クリスチャンは自分の救いにのみとどまってはなりません。
家庭に、職場に、隣人の間にと伝道の実を結んでいくべきです。

しかしこれは、私たちがキリストとともに死ぬことから始まります。
主イエス・キリストが一粒の麦として、十字架で死んでくださったことによって私たちが主の御救いにあずかったことを思えば、私たちもまた、キリストとともに死ぬことを学び、多くの実を結ぶクリスチャンとなるべきなのです。

私たちが、キリストとともに死ぬことを願い、真剣に祈り求め、この道に踏み出すまで、私たちは実を結ぶことができないでしょう。

「しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます」

これはクリスチャンの結実の奥義です。
どうぞ、信じている者にふさわしい実を結ぶ者になってください。

主は言われました。
「あなたがたが多くの実を結び、わたしの弟子となることによって、わたしの父は栄光をお受けになるのです」

God Bless You!!


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