2021年12月18日(土)の手紙

2021年12月18日(土)


『いろいろな定めのために私たちに不利な、いや、私たちを責め立てている債務証書を無効にされたからです。神はこの証書を取りのけ、十字架に釘づけにされました。』コロサイ人への手紙2章14節


私たちがだれかにいくばくかの負債でもあるなら、それを完全に返済するまでは絶えず責められ、取り立てられます。
その契約は完全に履行されねばなりません。

私たちが罪を犯したとき、それは借金をしたのと同じようで、その罪の償いをしなければなりません。
罪の償いをしない間、私たちは自分の良心の阿責に悩みます。

また、神のきよい律法に照らされて、神の御前に罪人としてさばかれねばなりません。

しかしイエス・キリストは十字架にかかられたとき、この罪の償いを十字架の上で果たし、神の御前にもなだめの供え物となってくださったのです。

十字架は、私たちを責める良心の、また律法のいっさいの証書を釘づけにしていると、使徒パウロは言っています。
これはまた何と大きな喜びではありませんか。

私たちの良心も、神の律法も、もはや私たちを責めることはできません。
私たちは十字架によって、新しい解放を受けているからです。

第一に、私たちを責めるものを無効にされたのです。
罪の債権書ともいうべき、罪に対する償いの要求書を無効にされました。

私たちの良心が、また神の律法が、ときにはサタンが、私たちを責め、訴えてきても、それはキリストの十字架によって無効にされました。
キリストご自身が私たちの罪のためにご自身のいのちを代価として支払っておられるからです。

第二に、私たちを責める証書を除去されました。
罪の阿責、罪の償いはあくまで追及してきますが、それを取り立てる証書、すなわち追及請求書は、主イエス・キリストの代価で支払われたことにより、私たちの目の前から取り除かれました。

その証書は、すでに十字架に釘づけにされたのです。

第三に、私たちを責め立てている権威を解除されました。
主イエス・キリストが十字架において勝利を得られたとき、神に逆らうこの世俗の支配力と権威は、神の御前に武装解除されました。

それは、無能、無力にされたということです。
今や、クリスチャンはいつまでも、自分の過去の罪、あやまちを悲しみ、悩んでいるべきではありません。

主イエス・キリストの十字架によって、罪が赦され、肉と世の力より解放されたことを知り、大いに感謝すべきなのです。

この十字架による恵みが、現実として心にあふれ、満ちてくるためには、クリスチャンは二つのことをすべきです。
それを抜きにして十字架による勝利は獲得できません。

それは第一に、徹底した悔い改めです。
そして罪の償いもすることです。
もしひとりでできない時は、牧師先生とともに祈っていただきなさい。

今一つは、キリストに完成されている罪の赦しと、自我、律法よりの解放は私のためであると素直に信じることです。
それは感情ではなく、みことばに立つことです。

God Bless You!!


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