2021年12月17日(金)の手紙

2021年12月17日(金)


『私には、私たちの主イエス・キリストの十字架以外に誇りとするものが決してあってはなりません。この十字架によって、世界は私に対して十字架につけられ、私も世界に対して十字架につけられたのです。』ガラテヤ人への手紙6章14節


使徒パウロは、主イエス・キリストの十字架以外に、誇りとするものがあってはならないと言いました。
このキリストの十字架こそ、福音の中心であり、神の力、知恵の現れであると言っています。

この十字架によって私たちは罪や肉性より解放されるだけでなく、このガラテヤ人への手紙の6章では、世界の世俗の力からも解放される、と書いているのです。

世界とは、自然界、物質の世界をいっているのではありません。
それは、神から離れた世界、すなわち、サタンの支配下にある世俗の世界です。
この世界は、神に反逆し、神に対して不従順の思想や風潮、また世俗的傾向をもっています。

イエス・キリストの十字架の力は、この世界に対して力強く働いて、私たちに世俗よりの聖別を与えるものなのです。

主イエス・キリストの十字架により、第一に、この世俗よりの離別。
キリストの十字架がわからない間、この世のものが心を占め、世の快楽、世の名誉、世の富が、唯一無二の魅力でした。
ただ、これらをもつことができれば幸福であり、成功者であるとさえ思えました。

しかしキリストの十字架を通してこの世界を見るとき、そこには何の魅力もなく、やがては滅びる世界だけが見えてきます。
そして私たちの心に、この世俗は「滅びるもの」としての離別を与えてくれるのです。

第二に、この世俗に対する訣別。
私たちは、主イエス・キリストによって世より選ばれました。
しかし、ともすると世俗のものと調子を合わせやすいのです。

しかしこのキリストの十字架によって、この世俗からも死んだものと見られているのです。

第三に、この世俗よりの聖別。
聖書は、私たちに、この世の友となってはいけない、またこの世を愛してはいけないと教えています。

私たちが主イエス・キリストの十字架を仰ぐとき、主イエスを十字架につけたこの世が、クリスチャンの友ではなく、また、愛してはならないものであることが理解されるのです。

この世俗の力は大きく、また魅力的です。
地位、名誉、金銭、富、快楽。

しかし、これらは私たちに永遠のものは一つも与えません。
また満足も与えません。

もし、主の十字架に「世俗」がつけられていることがわかると、心は軽くなり、世俗の力から解放された喜びを味わうようになります。

今まであれがほしい、これがほしいと思っていた心は聖別され、主の愛の喜びにあふれ、主に仕えることが楽しみとなります。
十字架こそ、この世に勝つ勝利の道です。

God Bless You!!


a:32 t:1 y:0