2021年11月29日(月)の手紙

2021年11月29日(月)


『神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。』ヨハネの福音書3章16節


神が私たちを愛したもう愛は、人知を越えたものです。
しかし、それは、人間が知ることのできないものではありません。
「神のひとり子」といわれるイエス・キリストによって、神の愛は私たちに具体的に現され、現実に啓示されているのです。

ヨハネの福音書の記者は、その3章16節において、神の愛の驚くばかりに大きく、深遠なことを語っています。

第一に、それは広いものです。
「神は……世を愛された」と。
神はこの世、この世界を愛しておられます。

これは人類を愛しておられることを語っています。
神の御目には人種的偏見もなく、人間的差別もありません。
神の御心には、人間に対する広い愛があるのです。
そこには神の愛より疎外され、漏れている者はひとりもいません。

第二に、それは豊かなものです。
「神は、そのひとり子をお与えになったほどに」とあります。
愛は惜しみなく与えるものです。

神は私たちを愛して、そのひとり子の神であるイエス・キリストを救い主として、私たちに与えてくださいました。
それは、神が神ご自身をくださったのと同じです。
神の愛は、イエス・キリストを通して私たちにまで示され、注がれているのです

イエス・キリストは、私たちの罪を赦し、救うために、この世界にお生まれになりました。
イエス・キリストによって、私たちのどのような罪もあやまちも赦され、きよめられます。
これほど豊かな愛があるでしょうか。

第三に、それは永遠の愛です。
「永遠のいのちを持つためである」と。

滅亡すべき者を滅ぼさない愛、信じる者に永遠のいのちを与える愛、神のご愛とは、信じる者に絶えず注がれる不滅の愛、不変の愛なのです。

人のいのちは短く、神を離れた人間のいのちは失われたものです。
その人間に限りないいのちを賜るとは、何と驚くべきことではないでしょうか。

この広い、豊かな、永遠の愛を私たちに示し、与えてくださったのが、イエス・キリストであり、その愛の極致の啓示が、主イエス・キリストの十字架です。

私たちが謙虚に主イエス・キリストの十字架を仰ぐとき、そこに、私たちひとりびとりに惜しみなく注がれている、豊かな、豊かな、神の愛を見ることができます。

ユダヤの国においては、十字架は刑罰の中でも最ものろわれたものでした。
しかし神は、こののろわれた刑罰を通して、さらに深い神の愛を私たちに啓示してくださいました。

私たちが自分の罪の深さがわかる程度にしたがって、主イエス・キリストの十字架に現された神の愛の広さ、深さ、豊かさが理解されるのです。

God Bless You!!


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