2021年11月23日(火)の手紙

2021年11月23日(火)


『あなたがたの中に知恵の欠けた人がいるなら、その人は、だれにでも惜しげなく、とがめることなくお与えになる神に願いなさい。そうすればきっと与えられます。』ヤコブの手紙1章5節


神はお与えくださるとき、私たちがするように、物乞いに少しばかり分け与えるようなことはなさいません。
むしろ、ご自分の富をあふれるほど与えてくださいます。

ソロモンが知恵を願い求めたとき、神はソロモンに富と権力をお与えになりました。
旧約聖書における祈りのほとんどすべての場合、神はご自分に求められたものの十倍を与えておられます。

主は「私たちの願うところ、思うところのすべてを越えて豊かに施す」ことをされるのです。
これが神のなさりかたです。

神は御約束をたがえず実行なさるのみならず、その約束に銀で応じてよい場合でも、金で応じるほうを良しとされます。
なみはずれて気前がいいのです。

このお方が、あなたに出し惜しみの態度をとり始めると思いますか。
もし寛大にもあなたの罪を赦してくださるなら、神は少しも乏しくないのです。

もし赦しを差し控えられるなら、神は少しも富んでおられないことになります。
どうして神が恩寵を差し控えられるでしょう。

罪を洗いきよめたいなら、そのようにできる恵みの川があるのです。
たましいを一新する恵みが欲しいなら、神の備えておられる洋々たる水が、乾いた地面に降り注ぎます。

私たちはキリストのはかり知れない豊かさを知っているのです。

おお、レビヤタンのごとき罪人たちよ、その身を浸せる恵みの大海がここにあります。
おお、象のごとき罪人たちよ、その巨身を預けて大洪水の上に浮かぶことのできる箱舟がここにあります!

天にまで届くほど高ぶった罪人よ、地獄のぬかるみに情欲の足を沈めている罪人よ、聖なる隠れ場には、あなたさえも身を寄せることのできる余地があるのです。

主はあわれみ深くあられます。
これほど寛大なる神に、いったい誰が願い求めないでしょうか。

神は惜しみなく与えてくださり、求める者に欠けがあるからといって恵みの輝きを陰らせたりなさいません。
これは慕わしい約束です。
神は知恵を願い求めるようにとあなたを招かれ、しかも、それを必ず与えようと言っておられるのです。

あなたは神を嘘つきだと考える罪を、他のすべての罪の上にさらに増し加えるつもりですか。
主を疑わず、主の真実であることを怪しまず、救い主の十字架のみもとに、へりくだって、うやうやしく、ただちに来なさい。

高く挙げられた救い主の御姿を、偉大な贖いの犠牲として仰ぎなさい。
その血潮したたる傷を仰ぎなさい。
いばらの冠の傷から流れる血に染まっている御額を仰ぎなさい。

このお方を仰ぎ、いのちをいただきなさい。

十字架にかかられた救い主を仰ぐなら、いのちを得ます。
救い主イエスを仰ぐなら、あなたは主に必要のすべてを見いだすのです。

主なる神よ
この目を開いてくださり、御子イエスと、あなたの限りない寛大さを理解させてください。
疑いや恐れの思いを追いやってください。

アーメン


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