2021年11月16日(火)の手紙

2021年11月16日(火)


『主は、かつてギブオンで彼に現われたときのように、ソロモンに再び現われた。主は彼に仰せられた。「あなたがわたしの前で願った祈りと願いをわたしは聞いた。」』列王記第一9章2節〜3節


霊的成長のレベルにかかわりなく、私たちに必要なものは、天上からの新たな訪れ、いきいきした顕現、もうひとたびの現れです。

これまでの歩みを神に感謝し、信仰者として歩み出した頃のあなたに神が臨んでくださったことを喜びをもって思い返すのは、ふさわしいことである一方、お勧めするのは、神の特別な臨在の訪れを願い求めることです。

主の支えによる日々の歩みを軽んじるつもりはありませんが、たとえば海には潮の満ちるときが毎日二回あるけれども、季節ごとの大潮もあることを考えてみてください。

私たちの目に見えようが見えまいが、太陽はいつも輝いています。
私たちはそれを冬の霧を通して見ていようとも、太陽そのものには夏の輝きがあるのです。

いつも神と共に歩むなら、特別な時期があります。
そのとき、神はみこころの奥義を明らかにされ、私たちにご自身を明らかにされます。

それは世に対してのみならず、ご自身の愛しておられる者たちに対しても、いつもされることではありません。

宮殿では毎日が宴とは限らないように、神と共にある日々がすべて、主の栄光のあらわされる特別なたましいの安息日のように、澄みきって輝かしいとは限りません。

かつて主の御顔を拝したことがあるなら、私たちは幸いです。
しかし、神が恩寵に満ちあふれて私たちにもう一度臨んでくださるなら、なお幸いです。

もうひとたび現れてくださるよう神に求め続けることを、お勧めします。
もうひとたび語ってくださることを心から嘆願しつつ、神に呼ばわり続けるべきです。

もうひとたび回心する必要はないとしても、私たちにまさに必要なのは、頭上で天の窓がいくたびも開かれることです。

ペンテコステのときのように聖霊を再びいただき、鷲のように若さを新しくされて、走ってもたゆまず、歩いても疲れないようにされることが必要です。

主がソロモンに語られたのは、ソロモンの祈りに関することでした。
そして、この二度目の現れで主はソロモンの祈りに答えられたのですから、その祈りには私たちの模範となる多くがあったと言えるでしょう。

とりなしを聞かれた先人たちの祈りに倣って、私たちも聞かれる祈りをしようではありませんか。

聖霊様。
私の力とたましいを朝ごとに新たにしてください。
どうか今、私に臨んでくださいますように。

アーメン


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