2021年11月15日(月)
『それは、あなたがたの祈りが妨げられないためです。』ペテロの手紙第一3章7節
祈りは尊い価値あるものです。
いわば、その水路を通って、信仰者のもとにかけがえのない祝福が運ばれるのであり、その窓を通って、あわれみ深い神が信仰者の必要を満たしてくださるのです。
祈りは天と交易する船で、天の国から積んで帰るその宝物は、かつてスペインのガリオン船が黄金の国から持ち帰ったどんな宝よりも、はるかに価値があります。
祈りには貴重な価値があるので、その祈りを妨げる危険性を、ペテロは動機として述べているのです。
すなわち、夫婦の関係や家族のかかわり合いにおいて、夫と妻は一緒に祈ることを妨げられないように生活すべきだという動機としてです。
何であれ祈りを妨げるものは、必然的に誤っているのです。
もし家庭に関する何かが原因で、私たちの祈る権利が損なわれるなら、すぐに変革する必要があります。
夫と妻は、恵みの共同相続人として共に祈るべきであり、これを妨げるなら、どんな行動も態度も習慣も悪です。
祈りはまさに霊的な力のものさしです。
祈りを差し控えることは危険かつ致命的な傾向です。
「ひざまずく場所が、まことに神の御前である」とは、言い得た格言です。
パリサイ人と取税人の祈りにおけるあり方は、それぞれの霊的状態を正しく示す基準でした。
あなたが人々の間でかなりの名声を得ているとしても、人の判断による評価は些細なことです。
なぜなら人はうわべだけを見ますが、主の目はたましいの奥底まで探るからです。
もし主の目から見てあなたに祈りがないなら、教会の集会に出席しようが、信仰的なことばを声高に語ろうが、主はそれらを軽視されます。
もしあなたが熱心な祈りの人なら……とりわけ祈りの御霊が内にあふれ、心がいつも神と語っているなら……、物事へのあなたの取り組み方はふさわしいのです。
けれどもそうでなくて、祈りが妨げられているなら、あなたの信仰生活には放逐すべき何かがある、あるいは満たすべき何かが足りないのです。
「あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれからわく」のであり、生ける祈りは、その泉のなかにあります。
天の父なる神様。
私の生活において祈りを妨げているものをあなたはご存じです。
私は自分の罪を悔い改めます。
そして、この心をあなただけにおささげしたいのです。
アーメン
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