2021年11月12日(金)の手紙

2021年11月12日(金)


『ダニエルは、その文書の署名がされたことを知って自分の家に帰った。彼の屋上の部屋の窓はエルサレムに向かってあいていた。彼は、いつものように、日に三度、ひざまずき、彼の神の前に祈り、感謝していた。』ダニエル書6章12節


信仰生活には、いくつかのあり方があり、それらは絶対に不可欠というものではありませんが、祈りは絶対に欠かせない霊性の本質的要素です。

祈りのない人は、たましいに神のいのちの、まさに息吹きが欠けています。

ダニエルは、聖書によると、すばらしい霊性を備えた人、よく祈る人です。
ダニエルは、とらわれている人々を心に覚えつつ、バビロンに捕囚されたイスラエルの民のために祈りました。

ダニエルはエルサレムのためにとりなしをしました。
エルサレムの都が荒れ果て、かつては全地の喜びであった麗しいシオンの山にカルデヤ人の破壊者たちが立っていることを、ダニエルは嘆き悲しみました。

ダニエルは捕囚から戻ることを嘆願しましたが、この捕囚が神の命じられたものであることも知っていました。
もしダニエルの祈りの部屋の鍵穴に耳を寄せ、万軍の主なる神に届く力強いとりなしの祈りを聞いたなら、さぞ心が弾んだことでしょう。

聖書によると、ダニエルの祈りには、いつも感謝が入っていることがわかります。
願い求めてばかりいて、その感謝を一度も返さないデボーションは、お粗末です。
感謝のない祈りは利己的なものであって、答えをいただくことはないでしょう。

祈りと賛美は、私たちが生きる上での呼吸に似ています。
祈りで神の愛と恵みを深く吸い込み、それから賛美で再び吐き出すのです。

ダニエルは神に芳しい香をささげました。
その組成は、数多くの香料、すなわち崇拝と混じりあった真摯な願いや望みでした。

ダニエルは世的な成功をきわめていましたが、たましいも栄えていたので、成功に酔いしれたり、繁栄の果実をかき集めるために道をそれたりすることを拒みました。

ダニエルは、神との変わることない内なる交わりによって、表に現れる告白の原動力を維持していました。
敵対する者たちに攻撃されたとき、ダニエルは富や名誉より貴重なものがあることを知っていました。

祈りによる神の恵みのひとかけらは、世の財産のひとやまにまさるのです。

神の御栄えにひざまずくことは、どんな犠牲を払おうと、たとえそれが獅子の穴を意味しようと、そうする価値があります。

父なる神様。
私があえて現代のダニエルとなるように助けてください。
祈りのプリンスにしてください。

アーメン


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