2021年10月30日(土)の手紙

2021年10月30日(土)


『求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。』マタイの福音書7章7節


祈りに満ちようではありませんか。

天の下では、力ある祈りほど報われるものはありません。
祈りにおいて力ある人は、その求めるすべてのものをいただくのです。

何であれ必要なものは、ことごとく願い求めなさい。
正しく、ふさわしいものを願うなら、心から捜し求める人には必ず与えられることが約束されています。

アダムの堕落によって失われたものを、そしてあなた自身の怠惰、信仰の後退、祈りの欠落によって失われたものを捜しなさい。
あなたに必要な恵みをいただくまで、捜しなさい。

そうして、たたくのです。
慰めや知識や希望や神ご自身から締め出されていると感じるなら、たたきなさい。
主は必ずそれらへの道を開いてくださいます。

この場合は、主ご自身の介入が必要です。
求めるなら与えられ、捜すなら見つかりますが、たたいて開けることはできません。
主ご自身が戸を開けるか、あなたは永遠に閉め出されるか、どちらかです。

神はいつでも喜んで戸を開けてくださいます。

この門には、炎の剣をもって見張るケルビムはいません。
それどころか、主イエスご自身が開けておられ、誰ひとり閉める者はいないのです。

罪が恵みの門にかんぬきをかけてしまったと、心配しているのですか。
その落ち込んだ気分が、戸を締めたと思い込んでいるのです。

そんなことはありません。
あなたが思っているようなかんぬきなど、門にはかかっていません。

門は、ある意味で閉じられているとも言えますが、それとは別の意味で、決して閉じられていないのです。
いかなる場合にも門は開け放たれており、ちょうつがいの錆も、堅く閉めるかんぬきもありません。

門をたたくどんなたましいにも、主は喜んで開けてくださいます。
門を閉めているのは本当のところ、むしろあなたの勝手な思い込みなのです。

信仰をもちなさい、そして今こそ聖なる勇気をもって門に入りなさい。
そして、神に嘆願し続けているのに、願いをかなえられないなら、私たちはますます熱心になります。

ダビデはみずからを、泥沼にどこまでも深く沈んでいくと言い表し、ついには深みの底から叫びました。
そうして、とうとう滅びの穴から引き上げられ、その足を巌の上に置かれました。

ですから私たちは心を広げる必要があります。
苦しみのシャベルは、いのちの水をためる溝を掘っているのです。

祈りの船がすみやかに帰港しないのは、積まれた恵みの船荷が重いからです。
たとえ重い心を抱いて戸をたたこうと、必ずや、たましいの喜びを抱いて歌うことになるでしょう。

失望してはなりません。

主イエス様。
私のたたいている戸を開けることができるお方は、あなただけです。
どうか私のもとに来てください。
アーメン。


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