2021年10月18日(月)の手紙

2021年10月18日(月)


『四十二か月の間……。』ヨハネの黙示録11章2節


第11章は聖都の破壊と、第七のラッパが鳴るところである。

「それから、わたしはつえのような測りざおを与えられて、こう命じられた、『さあ立って、神の聖所と祭壇と、そこで礼拝している人々とを、測りなさい』」

測るということは、悪魔から人々を守るためになされる業である。
聖所やキリスト教会に対して、悪魔の挑戦がいろいろとやってくる。

ここに書かれているつえというのは、 神の契約のしるしである。
「モーセは手に神のつえを執った」とあるが、彼はただつえ一本を持っていった。
それにまさるものはなかったからである。

パロとの戦い、あの巨大なエジプト文明を築き上げた王に対抗していく力は、一人の人間がいくらがんばっても持てるわけがない。
モーセはただ神の約束だけを持っていった。

私たちも信仰生活を送っていく中で、この世と戦っていかなければならない。
この世の力に対して自分だけの知恵や力で戦おうと思ってもどうしようもない。
私たちは、天と地とを支配する神の約束を携えていくことに心を用いなければならない。

私たちにはそれしかないし、それこそが最も力あるものなのだ。

当時の教会はローマの皇帝を敵にまわして、その大きな迫害の中におびえていた。
そういう中にあって、ヨハネは神の示しを受けた。

どんなにローマの権力が強くても、ここまでは及ばない聖域を測ったから、その中にいる者は悪魔の侵略を受けることはないというのである。

「彼らは、四十二か月の間この聖なる都を踏みにじるであろう」。
三年半ということは、しばらくの間ということである。

私たちの周りにも、要領よく表面的に立ち回る人がいる。
しかし聖書は、それはみな四十二か月だと言うのである。
私たちは、そういう人たちがそのまま歩いていくように思って、思いわずらうのだ。

私は詩篇の「悪をなす者のゆえに、心を悩ますな」という言葉が好きである。
私自身がそういうことで思いわずらうからだろうと思う。

悪をなす者のために心を悩まさないようにしていこうと思えば、私たちは神の支配を信じなければならない。
彼らの支配も四十二か月、どんなに要領よく立ち回っても三年半だということである。
どんなに巧妙に立ち回っても、神の前に正しい歩みをしていない者の支配は四十二か月である。

すばらしい言葉ではないか。
それは神の前にいつまでも栄えていくものではない。

私たちもそれをほんとうに信じよう。
そして人がどのようであろうとも、悪をなす者のゆえに心を悩まさないで、ただ自分が神の前にみずからの道を直くしていくことに、一生懸命になることこそが大事なのだ。

God Bless You!!


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