2021年10月16日(土)の手紙

2021年10月16日(土)


『その煙の中から、いなごが地上に出てきたが……。』ヨハネの黙示録9章3節


「この底知れぬ所の穴」というのは、悪魔の根拠地である。
この悪魔の本拠の穴を開くと、いなごが出てきたと書いてある。
いなごや獣、龍、蛇などが黙示文学にはよく出てくるが、それらはすべて悪魔的な存在である。

いなごも日本のいなごのように小さいものではなく、昼も暗くなるほどの大群でやってきて、またたく間に青いものを食い尽くしてしまい、人間はどうすることもできない。
そういう危険にイスラエルの農民はさらされており、その中に神の怒りを見、あるいは悪魔の挑戦を見てきた。

「彼らは……額に神の印がない人たちには害を加えてもよいと、言い渡された。
……人間を殺すことはしないで、五か月のあいだ苦しめることだけが許された」とある。

ここで「言い渡された」「許された」という言葉の中に、大事なことが言われていると思う。
それはこのいなごもまた、神の支配の外にあるものではないということである。

神の許しなしには、悪魔も何一つできないのである。
これはキリスト教信仰の一つの特色である。

聖書の世界では、悪魔も神の支配の中にあり、これは許す、またここまではかまわないというふうになっている。
ヨブ記などもそうであって、サタンは神から許された範囲でしか活動することができない。

だから私たちはどんな試みの中に置かれても、神の支配の中にあるのであって、神の愛の中に捕らえられているのである。

私たちは、このこともまた支配されるかたがおられるということを知れば、いまこのときの苦しさや悲しさを忍耐することができるのだ。

それはちょうど夜のようなものである。
私たちが夜を恐れないのは、地球が太陽系に属し、太陽に支配されているから必ず夜は明けると信じているからである。

私たちが病気になったり、不幸になったりするのも悪魔の手立てであるかもしれない。
しかしそれもまた、神の愛の支配の中にあるのだ。

私たちは、その神に帰ることができる。
神に帰ることによってすべてが解決できるということがあるのである。

だから聖書は私たちに、いつも神に帰りなさいと言っている。

神を第一にする。
まず神の国と神の義とを求める。
あるいは神に対してその道を直くする。
そのときにすべての問題は解決していく。

それが霊的な現実であることを聖書は私たちに教えているのである。

恐ろしいことや、いやなことや、絶望的なことも、ある意味において、私たちが神に帰っていくための一つの手立てである。

私たちはやみ、悪魔に支配されているのではない。
私たちを支配しているのは光であり、神である。

私たちは光の子である。
そのことをしっかりと信じていくことが大事なのだ。

God Bless You!!


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