2020年9月5日(土)の手紙

2020年9月5日(土)


『信仰の創始者であり完成者であるイエスから、目を離さないでいなさい。この方は、ご自分の前に置かれた喜びのために、辱めをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されたのです。』ヘブル人への手紙12章2節


ある人々は、イエス・キリストを信じるかわりに、自分の信仰を信じようとする。
主観的な状態を探し求めつづけているのだ。

彼らは客観的なキリストに目を向けるべきである。
真の信仰は、信仰それ自体にはまったく注意を払わない。

すべての視線をキリストに集中する。
なぜなら、信仰は私たちの救い主ではないからだ。
信仰は、それによってイエスが救ってくださるたましいの姿勢にすぎない。

サタンは、ほかの方法では私たちをだませないとき、私たちがキリストに目を向けるかわりに自分の信仰を詮索するように仕向ける。

最強の心をもっているクリスチャンとは、心の存在を少しも意識していないクリスチャンであり、最強の信仰とは信仰そのものにまったく注意を払っていない信仰である。
あなたは、不安になって自分の心に注意を集中することで、心を弱めてしまうかもしれない。

だから信仰を見つけようと常に努力することほど、速やかに信仰を弱めるものはない。
それは子どもが、種が成長しているかどうかを見ようとして掘り出してしまうようなものだ。
種に災いをもたらすものは好奇心である。

人を救うのはその人の信仰ではなく、キリストを信じる信仰である。
信仰とはキリストに目を向けることだ。
ほかの何かに目を向けること、信仰に目を向けることさえも、たましいにとっては問題なのである。

それだから、自分の信仰のことで悩んではいけない。
常に信仰を細かく調べたりしないようにしよう。
そこからすっかり目をそらして、イエスに目を向けること。

信仰だけでは意味がないからだ。
重要なのはイエスを信じる信仰だけである。

自分の救いはイエスにかかっているということを心に留めよう。
そうすれば信仰のことは何とかなる。

ジェームズ・マッコンキー


私がイエスを見つめると、平和の鳩が心の中に飛んできた。
平和の鳩を見つめると、鳩は飛び去った。

チャールズ・スポルジョン


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