2020年9月3日(木)の手紙

2020年9月3日(木)


『上にあるものを思いなさい。地にあるものを思ってはなりません。』コロサイ人への手紙3章2節


今日のクリスチャンにきわめて必要なのは、神についての十分に天上的な思いを取り戻すことである。
彼らはそれより劣るものに安住してしまい、それより劣ったほとんど別のものに関わるようになっている。

状況はずっとそんなふうだった。
新約聖書が書かれたのは、ほぼ全面的にそのためである。

主の民は常に、そのようなことをする危険にさらされている。
少なくともそうした危険にさらされているのだ。

彼らは霊的にこの世界に引きつけられ、何らかの形で天上の証しを失ってしまう。
引き下げようとする圧力は常にそこにある。

主が必要としておられるのは、その重心がこの世から天へと移され、彼らの内に次のような意識の見られる生活である。

すなわち、彼らに解釈できようとできまいと、真理や教義や聖書の教えに体系化できようとできまいと、それにかかわらず、彼らがこの世が与えうるものを超えたある偉大な運命に属していること、天からの召命としか言えないものに捕らえられて、ずっとそれに支えられてきたという意識のある生活である。

主が必要としているのはそのような民、現状に満足できない民である。
それは頭や理性の問題ではまったくなく、彼らの内面の問題なのだ。

彼らは、神があることをしてくださったことを知っている。
神がそのことをしてくださったおかげで、彼らはこの人生とこの世の乏しい限界をはるかに超えたものに関わっている。

心の内で、途方もなくすばらしいものに結びつけられているのだ。
そのことを説き明かすことはできないかもしれないが、確かに知っているのである。

私たちはビジョン、神から与えられた真のビジョンを超え、自分の心の届くところを超えては、決して神の役に立つことはない。
私たちのビジョンの範囲が、私たちが役立つ範囲を決定する。

ああ、民の心の内に天の国が計り知れないほどあったなら!
それこそが、今日必要とされているものである。

T・オースティン=スパークス


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