2020年9月28日(月)の手紙

2020年9月28日(月)


『それで、彼らはイエスに言った。「それでは、私たちが見てあなたを信じられるように、どんなしるしを行われるのですか。何をしてくださいますか。私たちの先祖は、荒野でマナを食べました。『神は彼らに、食べ物として天からのパンを与えられた』と書いてあるとおりです。」それで、イエスは彼らに言われた。「まことに、まことに、あなたがたに言います。モーセがあなたがたに天からのパンを与えたのではありません。わたしの父が、あなたがたに天からのまことのパンを与えてくださるのです。神のパンは、天から下って来て、世にいのちを与えるものなのです。」そこで、彼らはイエスに言った。「主よ、そのパンをいつも私たちにお与えください。」イエスは言われた。「わたしがいのちのパンです。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。」ヨハネの福音書6章30節~35節


私たちは、食べる糧によって成長する。
日々キリストを糧として、キリストにあって成長し、キリストが私たちの内で広がり、満たしていただくことは、私たちの特権である。

私たちは、この方をもっともっと占有し、自分たちの完全な犠牲として占有して、その犠牲の愛と保証の内に安らぐことで、主を糧とすべきだ。

私たちを愛し、私たちのために生きる「生ける頭」として占有するべきである。
そして、自分の意思よりも主のみこころが浸透するようにもっともっと自分を開け放ち、主ご自身の喜びで満たしていただくべきなのだ。

クリスチャンが日々、主イエス・キリストを自分のものとするなら、自分のたましいが生けるパンであるキリストを食べて満たされていること、生けるキリストが自分の内に生きておられることをますます意識して毎日を生きていることに気づくだろう。

I・M・ハルデマン


もしも私たちが主イエスの近くで生きておらず、いるべきところにいなかったら、霊的なことへの欲求を抱くことはないし、生けるパンである方を糧とすることもできない。

神があなたに、愛するお方への飢え渇きを注ぎこみ、主にあるあなたの特権を示しはじめてくださるときは、神に対する歓喜と大いなる感謝をもって喜ぼうではないか。

もしも主が私たちの心に、主をもっとよく知り、主の最上のものを得たい、という願いを入れてくださらなければ、得られるはずのものをほんのわずかしか得られずに救われることになるだろう。

C・H・マッキントッシュ


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