2020年9月26日(土)の手紙

2020年9月26日(土)


『私たちは神の中に生き、動き、存在している。』使徒の働き17章28節


主イエスこそ、万物を動かし、その知恵と力によって万物を発展および進歩させつづけ、神の目的が達成されて最終的には御国が来るように、抑制し支配し、導き祝福するお方である。

キリストはすべての主である。
宇宙全体がキリストを中心としている。

メシア降誕のとき星が姿を現し、イエス・キリストが十字架の上で死ぬとき、太陽は輝きを失う。
人の子が力をもって来るとき、天には再びしるしと奇跡がある。

物質の世界では大きな発展が何度も繰り返されてきたことを、私たちは知っている。
そして科学も神の啓示も、新しい地を待ち望むことを教えてくれている。

主イエスこそがすべてを新しくしてくださる。
すべての発展はイエスの力あるみことばによって支えられ、動かされるのだ。

イエスは霊的領域の、思考と感情の主であり、主教、たましいを教化する牧師・聖職者の頭であるというのが、この世がイエスについて抱いている一般的概念であることを私は知っている。

しかし、イエスが力あるみことばによって万物を動かしていること、すべての政治、すべての政治的手腕、すべての歴史、すべての物理、すべての芸術、すべての科学、そこにあるすべて、実質と真理と美を有するすべてのもの、それに付随している罪という癌を除く万物が、神の御子イエスにあって成り立っていることを、この世は知らない。

さて、ヘブル人への手紙を書いた使徒は、神が万物の相続者と定め、そのお方によって世界を造った御子、「神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現れ」であり、「その力あるみことばによって万物を」動かしておられる主イエスのすばらしい栄光につぃてこのように説明しているが、さらにもっとすばらしいことを語ることで話を続ける。

この栄光に満ちたすばらしい存在、その中にすべてが集約され、万物の前で御父の喜びであり御父の栄光であるお方、この限りなく偉大なお方がなぜ、我々の哀れな地上に降りてきたのだろうか。

どんな目的で?
光り輝くために?
その威厳の輝きを示すために?
天の知恵を教えるために?
ご自身の公正で聖なる力によって支配するために?

そうではない!
私たちの罪を洗いきよめるために来られたのだ。
なんと高き栄光!
なんと深い謙遜!
その威厳と謙譲の限りなさ。
その愛の深さよ。

なんと栄光に満ちた主であられることか!
そして、我らの罪をご自身で洗いきよめるために示された筆舌に尽くせぬ愛の、なんと恐れ多き犠牲であることか!

アドルフ・サフィア


a:79 t:1 y:0