2020年9月24日(木)
『いと高き方の隠れ場に住む者 その人は全能者の陰に宿る。』詩篇91篇1節
私は以前、キリストの内に住むということには何か神秘的なものがあると思っていました。
けれど今は、キリストの内に住むとは完全に信頼するという意味にほかならないことを知りました。
このことを理解すると、それはこの世でもっとも単純な事柄となるのです。
ある二人の人について、彼らが「お互いの心の中に住んでいる」と言うことがあります。
つまり、二人の間に完全な愛と信頼が存在し、互いを疑うことは不可能だという意味です。
もしも主の砦に対する私の信頼が完全であるなら、私はその砦の中に住んでいるのです。
神は私たちの砦、私たちのやぐらであるので、実際に行うべきことは、信仰によって降伏し、自分自身とすべての関心をこの聖なる住まいの中に置くことです。
そして、自分の心からいっさいの不安や思いわずらいを拭い去らなければなりません。
主が私たちの住まいなのですから、主にお任せしたことが損なわれることは決してないのです。
このことを信じているかぎり、私たちに関する事柄は、主の御手の内にあります。
私たちが疑いをもちはじめた瞬間に、自分に関する事柄を自分の手に取り、それらはもはや主の砦の中にはありません。
物事が同時に二つの場所に存在することはありえません。
もし私たち自身が保護しているなら、神が保護しておられることはありえないのです。
そしてもし神が保護しているなら、私たち自身が保護していることはありえません。
以上のことは昼の光のようにはっきりしていますが、それでもちょっとした常識がないために、人々はそのことで混乱してしまうことがしばしばあります。
彼らは自分に関する事柄を神の砦の内に置き、それと同時に自分の砦の中にも入れます。
そして、どうしてそれらが取り扱われないのかと不思議に思うのです。
これは全く愚かなことです。
主に完全に信頼するか、あるいは自分自身に完全に信頼するかです。
けれども、二つの信頼を混ぜ合わせようとしてはなりません。
この二つは混ざらないものだからです。
信頼を言葉にすることが役立つことは、しばしばあります。
声に出してこう言いましょう。
「神は私の住まい、この方の内に永遠に住みます。
これですべて解決。
私はこの聖なる住まいの内にいて安全です。
ここから出ていくことは決してありません」
ハンナ・ホワイトール・スミス
クリスチャン生活を完全にするのは、神に絶対的な信頼を置くことだ。
すべての道はこのことに通じ、どんな手段でもここに到達した者は、決して困惑しない。
エドワード・デネット
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