2020年9月22日(火)の手紙

2020年9月22日(火)


『神は、私たちが御怒りを受けるようにではなく、主イエス・キリストによる救いを得るように定めてくださったからです。』テサロニケ人への手紙第一5章9節


神の平和について、パウロは区別をしていない。
これはつまり、神との平和を他のクリスチャンよりも多く得ているクリスチャンはいない、ということだ。

平和は人の働きではなく、使徒の働きでさえなく、全面的に神だけの働きである。
すべてイエス・キリストを通して得られるものである。

キリストこそ私たちの平和だからだ。
この理由によって、主を心から信じる私たち一人ひとりに、神との同じ平和が与えられている。

この平和は将来、増大することはない。
もうすでに完全だからだ。
また、減少することもない。
平和は永遠のものであり、キリストをその源、与え手、保証人としているからである。

私たちはもはや神の敵ではない。
もはや神の怒りの下にはいない。
私たちは神の子ども、一人残らず等しく神の子どもであり、神の子どもとしての同じ身分を共有し、神との同じ平和を享受している。

これは完全に、そして独占的に主イエスの働きであり、救いの贈り物は主からのもの、栄光は主のものである。

ポウル・マドセン


キリストがすべてである。
キリストは神のみこころにとってすべてであり、ご自分の民の心にとってもすべてであることを望んでおられる。

あなたにとってもそうであることが、私があなたのために願える最高の恵みである。

エドワード・デネット


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