2020年9月21日(月)の手紙

2020年9月21日(月)


『ただ、御使いよりもわずかの間低くされた方、すなわちイエスのことは見ています。イエスは死の苦しみのゆえに、栄光と誉れの冠を受けられました。その死は、神の恵みによって、すべての人のために味わわれたものです。』ヘブル人への手紙2章9節


これまで生贄のささげ物として流された動物の血はどれも、罪の染み一つすら消すことができなかった。
だが主の血の効力はきわめて強大で広範囲に及ぶので、その力によって世の罪は取り去られる。

教会や、イスラエルを集めて復興させること、千年王国時代における国々の救いと祝福、うめいている被造物の滅びの束縛からの解放に関する神の目的はすべて、神の子羊としての主の働きに根拠がある。

このことに関連してヘブル人への手紙を書いた使徒は2章で主について「その死は、神の恵みによって、すべての人のために味わわれたものです」と述べている。

主の犠牲をもとにして、罪の痕跡はすべて、最終的に宇宙から拭い去られる。
サタンと救いがたい敵は、それが人であろうと御使いであろうと火の池に送られ、新しい天と新しい地において、おびただしい数の贖われた者たちが栄光の永遠の日を迎えるだろう。

その日には彼らは、この上ない喜びをもって主を見る楽しみを得、主への尽きせぬ賛美の歌を繰り返し歌う。
主はその血によって、彼らを光の中にある聖徒たちの相続分にあずかるにふさわしくしてくださったのである。

C・C・クロウストン


過去について、クリスチャンはこう言うことができる。「
「私は救われた」…罪の罰から。

現在について、クリスチャンはこう言うことができる。
「私は救われつつある」…罪の力から。

未来について、クリスチャンはこう言うことができる。
「私は救われる」…罪の存在から。

W・H・グリフィス・トマス


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