2020年9月15日(火)の手紙

2020年9月15日(火)


『わたしが目を留める者、それは、貧しい者、霊の砕かれた者、わたしのことばにおののく者だ。』イザヤ書66章2節


人生に欠かせない要素は、敬虔な畏れである。
それは神のことばにおののく畏れ、不従順になることを恐れる愛である。

神が共に住むクリスチャンを選び出すとき、それは神の真理に対するきわめて深い洞察力をもつクリスチャンでもなければ、すべての知識と奥義を理解しているクリスチャンでもなく、最高の知性を備えたクリスチャンでもない。

謙遜で砕かれた霊をもち、神のことばにおののくクリスチャンなのだ。

高慢がおののくことに、自己主張が柔和と謙遜とに取って代わられるとき、愛がおののいて敬虔な畏れが従順を求めるとき、そのとき初めて知識と主への畏れとが結び合わされる。

それらは神の聖者その人(すなわちキリスト)と神から遣わされた聖なる方の油注ぎにおいて完全なものとされていた。

これらが結び合わされて、私たちに注がれる聖なる油注ぎの油の一部がかたちづくられる。
そして私たちが神の霊のこれらの恵みにあふれた贈り物と働きを明らかにするその程度に応じて、油注ぎが私たちのうちに留まっている。

人は油注ぎの多くの部分を似せることができる。
油注ぎの個々の特徴の多くは、肉体をもった人が真似ることができる。
だがここにあげた結び合わせは、神によって真に油を注がれた者の内にしか見出されない。

ヘンリー・グローブズ


神の御霊の働きも、そのわざの形も、サタンが模倣しないものは一つもない。

著者不明


a:89 t:1 y:0