2020年9月1日(火)の手紙

2020年9月1日(火)


『わたしは彼を杭として、確かな場所に打ち込む。』イザヤ書22章23節


神のみことばを読んで、また読み返そう。
みことばに現された神のみこころを理解しようと努めることに、絶望してはならない。
たとえ、神のみこころがあなたに対して固く閉ざされているように思えても。

祈ってみことばを読み、みことばを読んで祈ろう。
神から来る少しのものは、人から来るはるかに多くのものにまさるからだ。

また、人からのものは不確かで、人によって失くされ、くつがえされるが、神からのものは杭として、確かな場所に打ち込まれる。

神から受けるものほど、私たちのそばにずっと留まるものはない。
この時代のクリスチャンが幾つかのことについてこれほど迷っているのは、人の口から出るものに満足して、神を捜し求めず、御前にひざまずいて、永遠なるものの真理を神から知ろうとはしないからだ。

神の御手から受ける教訓は、貨幣鋳造所でできたばかりの真理として私たちのところに来る。
教訓自体は古いが、私たちにとっては新しい。
古い真理は、天の国という外皮をともなってやって来るなら、私たちには常に新しいものである。

ジョン・バニヤン


敵はあなたにあらゆることをするように勧めるが、聖霊の教えによる聖書の系統的な学びだけは勧めない。
敵はあなたに宗教的経験や感情、敬虔な思いを与えるが、すべて神のことばとはかけ離れたものだ。

だまされてはいけない。
聖書が私たちの唯一の支えである。
これに代わるものはない。

J・B・ストーニー


かつてバイブルクラスで年配の方々を教えていたとき、その中の一人が長いこと、読んでいた一つの聖句のところで止まっていたことがありました。

ついに私は、どうしましたか、そこの箇所が理解できないのですか、と訊ねました。

「いや、そうじゃない」とその人は答えました。
「ちゃんと理解しているさ。
あまりにもすばらしい味がするから、時間をかけて噛みしめているんだよ」と。

ハンナ・ホワイトール・スミス


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