2020年8月26日(水)の手紙

2020年8月26日(水)


『あなたがたは、人を再び恐怖に陥れる、奴隷の霊を受けたのではなく、子とする御霊を受けたのです。この御霊によって、私たちは「アバ、父」と叫びます。御霊ご自身が、私たちの霊とともに、私たちが神の子どもであることを証ししてくださいます。子どもであるなら、相続人でもあります。私たちはキリストと、栄光をともに受けるために苦難をともにしているのですから、神の相続人であり、キリストとともに共同相続人なのです。』ローマ人への手紙8章15節~17節


クリスチャンであることは、実にすばらしく恵まれたことだ。
クリスチャンとは「キリストの内にいる」人、「御霊の内にいる」人であり、聖霊がその内に住んでおられるからである。

御霊はイエスを信じる人の内におられ、その人に今その人のものであることと、これからその人のものになることとを感覚的に経験させてくださる。

それだけでなく、聖霊がその人の内におられるので、次に来るのは、その人の口が開かれて「アバ、父」と叫ぶことである。

そればかりか、聖霊は私たちを助け、キリストのことを示し、私たちが主の愛と御父の愛を享受できるようにして、私たちが神の子どもであるという事実による慰めを与えてくださる。

さらには、「子どもであるなら」私たちは「相続人」ということになる。
「私たちはキリストと、栄光をともに受けるために苦難をともにしているのですから神の相続人であり、キリストとともに共同相続人なのです。」

キリストとともに相続する者、苦難をともにする者、栄光をともに受ける者 それが、まさに私たちの状況を表す言葉なのだ。

私たちはキリストと肩を並べている。
キリストが神の御子であるのと同じように、私たちは神の子どもである。

ただしそれは、主が永遠の御子であるのと同じ意味ではなく、主が人として恵みを受けた立場においてであり、主は、主を信じる者たちをその立場に入れてくださる。

マリアに言われたように、「わたしは、わたしの父であり、あなたがたの父である方、わたしの神であり、あなたがたの神である方のもとに上る。」

聖霊は下ってきて、私たちが共同相続人であり、主と苦難をともにする者であって、やがて主とともに栄光を受けるのだという感覚と知識とを与えてくださるのである。

W・T・P・ウォルストン


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