2020年8月16日(日)の手紙

2020年8月16日(日)


『神は われらの避け所 また力。苦しむとき そこにある強き助け。それゆえ われらは恐れない。たとえ地が変わり 山々が揺れ 海のただ中に移るとも。たとえその水が立ち騒ぎ 泡立っても その水かさが増し 山々が揺れ動いても。 セラ 川がある。その豊かな流れは 神の都を喜ばせる。いと高き方のおられる その聖なる所を。神はそのただ中におられ その都は揺るがない。神は朝明けまでに これを助けられる。国々は立ち騒ぎ 諸方の王国は揺らぐ。神が御声を発せられると 地は溶ける。万軍の主はわれらとともにおられる。ヤコブの神はわれらの砦である。来て 見よ。主のみわざを。主は地で恐るべきことをなされた。主は地の果てまでも戦いをやめさせる。弓をへし折り 槍を断ち切り 戦車を火で焼かれる。「やめよ。知れ。わたしこそ神。わたしは国々の間であがめられ 地の上であがめられる。」詩篇46篇


あなたの信仰を何ものにもゆるがされないようにしましょう。
罪に襲われても、そのことで疑いをもってはなりません。

どんな罪も見つけたらすぐにヨハネの手紙第一1章9節に向かい、それに基づいて行動してください。
「もし私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、私たちをすべての不義からきよめてくださいます」。

そして、神が約束なさったとおりに、あなたを確かに赦し、すべての不義から再びきよめてくださると信じましょう。

どれほどひどい罪であっても、このように対処したあとは、一瞬たりとも私たちを神から引き離すことはできません。

罪によって信仰が揺り動かされることは、すでに犯した罪に新しく罪を加えることにすぎません。
すぐに元の場所に戻って、信仰が主のみことばにしっかり留まるようにしてください。

感じるから、見えるから信じるのではなく、主がそうおっしゃるから信じるのです。
偽りを信じていると思えるときでも、信じるのです。

闇の中でも光の中でも、上るときも下るときも、慰めのときも絶望のときも、積極的に、一貫して信じるのです。
そうするなら、揺れ動く経験は終わりを告げるでしょう。

「ですから、私の愛する兄弟たち。
堅く立って動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。
あなたがたは、自分たちの労苦が主にあって無駄でないことを知っているのですから」。

信仰を動かされないことは、揺れ動くことの反対です。
詩篇46篇を見ればその意味がわかるでしょう。

…地は変わるかもしれず、山々は海の只中に移るかもしれず、全世界は荒廃しているように見えるかもしれません。
けれども、主に信頼しているかぎり、私たちは動かされないのです。

信仰の揺れ動く人は、ちょっと困ったことがあるだけで、うろたえてしまいます。
信仰のゆるがない人は、全世界の荒廃を冷静に見つめることができるのです。

揺れ動くことのないクリスチャン生活は、強く求められるべき恵みです。
それは、「最初の確信を終わりまでしっかり保ちさえすれば」私たちのものとなるのです。

ハンナ・ホワイトール・スミス


信仰とは、神のみことばに基づいて目に見えないものを信じることであり、その報酬は、信じるものを見て楽しむようになることである。

アウグスティヌス


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