2020年8月15日(土)の手紙

2020年8月15日(土)


『しかし、神に感謝します。神は、私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださいました。』コリンと人への手紙第一15章57節


偽りの勝利に注意しなければならない。
人生における罪の力に対する勝利も、そのために労することで達成しなければならないとしたら偽物だ。

本物ではない。
神が与えてくださる勝利ではないのである。

庭の雑草を抜くように人生から罪を一つひとつ取り除いていき、悪を徐々に征服していくことで得られる勝利も、同様に偽りの勝利である。

いや、主イエスは、私たちに徐々に贈り物を与えようとはなさらない。
贈り物は成長するものではないのだ。

「神に感謝します。
神は、私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださいました」。

だからといって、勝利した人生において成長はまったくない、と誤解しないでほしい。
それは神のみことばに対する完全な誤りである。
勝利の中に入ったあとに、初めて正しく成長しはじめる。
神が望まれるように成長するようになるのだ。

いや、勝利とは自分の悪い欲望と闘うことでも、悪い感情を隠すことでもない。
それは闘争を意味する。
真の勝利においては、主がすべてを行ってくださるのだ。

私たちはそれを手伝うことはない。
主イエス・キリストが聖霊によって私たちの人生に働いてこの勝利を与えてくださるとき、それはいつも奇跡なのだ。

奇跡でなかったら、それは勝利ではない。

チャールズ・G・トランブル


クリスチャンの勝利は、他の人々に対するものではなく、自分に対するものだ。
刀を抜くが、それは仲間を殺めるためではなく、自分を殺すためだ。

クリスチャンは負けることで勝つ。
敗北することで勝利を得る。
死ぬことで生きる。

その冠は茨の冠であり、王座は十字架だ。
その武器は強さではなく、弱さである。

F・J・ヒューゲル


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