2020年8月14日(金)の手紙

2020年8月14日(金)


『これは、今、天上にある支配と権威に、教会を通して神のきわめて豊かな知恵が知らされるためであり、私たちの主キリスト・イエスにおいて成し遂げられた、永遠のご計画によるものです。』エペソ人への手紙3章10節~11節


クリスチャン人生はすばらしいものだ。
地上でもっともすばらしいものの一つである。

日々のささいなことで成り立っているとはいえ、それ自体はささいなことではない。
貧しかろうと金持ちであろうと、子どもであろうとれっきとした大人であろうと、真摯に生きているなら、最初から最後まで高貴である。

そこにおいて、またそれによって「天上にある支配と権威に……神のきわめて豊かな知恵が知らされる」偉大な総体の一部なのである。

それが長い人生である必要はない。
短い人生も、長い人生と同じくらい真実で神聖なものかもしれないからだ。

短い人生は失敗ではない。
バプテスマのヨハネの働きはおそらく教会における働きで最短のものであったが、失敗ではなかった。

もっとも偉大な成功の一つだった。
彼は「燃えて輝く」光だった。

「神々に愛される人々は若死にする」という世俗的なことわざをあげるまでもないが、聖さの美を明らかにするのに七十年(私たちの齢は七十年)も必要ない、と言うことはできよう。

ホレイシャス・ボナー


正しい心構えでいるなら、死にたいとは思わない。
神の恵みにあふれた人に、人生に疲れたという様子は見られない。

それでも、世を去ってキリストとともにいることのほうが「はるかに望ましい」というのはまったくそのとおりである。
日曜は教会にいて、明日の月曜からは仕事の一週間を送るよりもはるかによい。

だが、それは事実であるにしても、私たちはこの世に残ってキリストに仕えることを願うように教えられている。

燃える「炎の中から」燃えさしを「取り出す」ことができるのは、ここにおいてだけなのだ。

ここに留まり、多くの人々を義へと導こう。
死のうとは考えないという規則を作ろう。
復活のことを考えよう。
キリストが再び来られることを考えよう。

これこそが聖められ、強められ、喜びを増してくれることなのである。

アンドリュー・ボナー


地上の栄光の、なんと素早く消え去ることよ!

トマス・ア・ケンピス


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