2020年7月7日(火)の手紙

2020年7月7日(火)


『そのとき、イエスに手を置いて祈っていただくために、子どもたちがみもとに連れて来られた。すると弟子たちは、連れて来た人たちを叱った。しかし、イエスは言われた。「子どもたちを来させなさい。わたしのところに来るのを邪魔してはいけません。天の御国はこのような者たちのものなのです。」』マタイの福音書19章13節~14節


ひとりの母親が座って聖書をすみずみまで読み、聖なる生活の秘訣を探り出そうとしていた。
霊的な助けを求めるのに多くの時間を費やしたので、家事を行うことがわずらわしくなり、さっさとすませるか、無視した。
家庭の「家庭らしさ」は失われてしまった。

ある日、母親が学びに没頭していると、幼い娘が壊れた人形を持って、よちよちとそばに寄ってきた。
「ママ、おにんぎょさん、なおしてください」。
母親はいらいらしたしぐさで、娘を払いのけた。
「ママはね、お人形さんのことを心配するよりも、もっと大事なことがあるのよ」。
娘は悲しそうに去っていき、母親はまた聖さの探求を続けた。

けれども、その探求は実を結ばず、母親はため息をついて聖書を閉じると、娘を捜した。
娘は暖炉の前の敷物の上で、大切な人形を握りしめて寝ていた。
愛らしい顔はまだ涙で濡れている。

母親は心を打たれた。
神が母親に語りかけたのは、そのときだった。

母親はそっと娘のそばに寄ると、キスをして起こした。
それから両腕に抱くと、神に赦しを求めて静かに祈った。
務めをおろそかにすることで聖さを増大させることはできない、とわかったのだ。

それ以来、主に対する母親の献身は家事を切り盛りする中に見られ、壊れた玩具を直すことの中にさえ輝き出た!
家庭は再び家庭になった。
そして聖書のどのページも新鮮な栄光で光り輝いた。

そう、そして母親の晴れやかな顔には勝利が輝いていたのである。

ある英国の説教者


実際よりも自分が進歩していると思いこんでいる人々ほど、教えにくい者はない。

J・B・ストーニー


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