2020年7月25日(土)
『「今日か明日、これこれの町に行き、そこに一年いて、商売をしてもうけよう」と言っている者たち、よく聞きなさい。あなたがたには、明日のことは分かりません。あなたがたのいのちとは、どのようなものでしょうか。あなたがたは、しばらくの間現れて、それで消えてしまう霧です。あなたがたはむしろ、「主のみこころであれば、私たちは生きて、このこと、あるいは、あのことをしょう」と言うべきです。』ヤコブの手紙4章13節~15節
毎朝、もしかしたら夜まで生きていないかもしれないことを思い起こそう。
夜になったら、明日も生きているだろうとは思わないことだ。
いつでも主にお目にかかる備えをして、準備ができていない状態で死が訪れないように生きよう。
多くの人が突然、予期せぬ死を迎える。
「人の子は思いがけない時に来るのです」。
最期の瞬間が訪れたとき、あなたはこれまでの人生をまったく違ったふうに考えるようになるだろう。
そしてあまりにも軽率で怠慢であったことを深く悔いるのだ。
死ぬときはこうありたいと望んでいるとおりの人生を送っているクリスチャンは、賢明で幸福だ。
次にあげることが、幸せな死を迎える確かな希望を与えてくれるからである。
それは、世俗的なものへの敬虔な蔑視、聖さへの熱い渇望、鍛錬への愛、悔い改め、すぐに従う従順さ、自己否定、キリストの愛ゆえにどんな試練にも耐えること。
あなたのたましいの救いを、先のいつの日にかまで遅らせてはならない。
人はあなたが思っているよりも早くあなたのことを忘れるからだ。
今が永遠に対する備えをするときだ。
現在の時がもっとも貴重だ。
「今は恵みの時、今は救いの日」である。
これから永遠のいのちを得ることができるというのに、あなたが時間をよりよく使っていないのは残念なことだ。
あと一日、いや一時間でもいいからやり直したい、と願うときが来る。
その願いがかなえられるかどうかは誰にもわからない。
親愛なる兄弟姉妹よ、自分の死を意識して、聖なる恐れの中で生きるなら、どれほどひどい危機や恐れからも解放されるのである。
死を迎えたときに恐れず喜ぶことができるように、今を生きることに専念しよう。
キリストとともに生きることを始められるように、世に対して死ぬことを今、学ぼう。
自由にキリストのもとに行けるように、この世的なことすべてを蔑視することを今、学ぼう。
トマス・ア・ケンピス
私たちの死とは何か。
それは一夜の眠りに過ぎないではないか。
眠りによって疲れや弱さがなくなり、気力が新たにされ、朝にはさわやかな気分で力と喜びにあふれて目覚めるように、終わりの日にも、一晩眠っただけであるかのようによみがえり、 実に新鮮な気持ちで力強くなるのである。
マルティン・ルター
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