2020年7月18日(土)の手紙

2020年7月18日(土)


『家は香油の香りでいっぱいになった。』ヨハネの福音書12章3節


唯一の真の奉仕である、霊による奉仕は上からもたらされる。

ではあなたの奉仕はどこに由来し、何に基づいているだろうか。
上から来るものだろうか。

あなたを動かしている霊は、聖所にその源を見出し、あなたの存在全体に浸透しているだろうか。
あなたの内で常に新たにされる主のいのちの力によって、安らかに神に仕えられるようにしているだろうか。

この奉仕は、「アベルのいけにえ」がそうだったように、神に受け入れられるものだ。
その起源は信仰であり、神のもとへ昇っていくささげ物であり、神に受け入れられる。

これ以外の方法で神に仕えることはまったくの思い違いであり、現在と将来の両方において、無駄と疲れと損失をもたらす。

多くのクリスチャンが、神のしもべであっても、真の正義の秘訣を学ばずに、そんなふうに神に仕えているのは事実である。
結果は思い違いと霊的な衰えだけだ。

これは、善意が必ず失敗に終わるということではない。
まったく逆である!

あなたは自分の働きに身をささげているが、残念なことに、律法的な義務感によって、ともすると熱狂的な活動に身を投じてせわしく動き回りがちだ。
これを改善する唯一の方法は、奉仕の最中に主のもとに来て休息を見出すことだ。

落ち着きのない熱狂的な奉仕は、いたるところで敗北につながる。
あなたは神に仕えたいと望んでいるが、それを行う心構えもやり方も、行動の仕方も正しくない。
イエスが語られた第一の奉仕は聖所からもたらされ、聖霊を通して私たちの上に降りてくるものだ。

しかし、あなたの奉仕は神に向かって上げられることを要求する。
神はそれを決して受け入れてくださらない。

イエスが弟子たちとともにベタニアに着いたとき、マルタが主に奉仕したのは正しいことだった。
だが、落ち着きのない興奮した奉仕に引きこまれるままであったところは間違っていた。

ヨハネの福音書11章では、これが変化して、主に最初に会いに行き、主の栄光を見る準備ができているのはマルタである。
そして2章では、まさに主に仕えるのにふさわしい形で仕えているのを見る。

さあ、考えてみよう!
そして霊によって仕える方法を学ぼう!

あなたの働きの範囲が広がり、神が喜んでその重要さを増してくださるにつれて、この秘訣は神の宝と富のすべてを開いて見せてくれるだろう。

そしてあなたに任されているすべての仕事にもかかわらず、あなたは簡素で謙遜な生き方をするようになる。
その結果は、ベタニアと同じように、そうした奉仕の香りで家がいっぱいになることである。

H・E・アレクサンダー


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