2020年7月15日(水)の手紙

2020年7月15日(水)


『しかし、神の堅固な土台は据えられていて、そこに次のような銘が刻まれています。「主はご自分に属する者を知っておられる。」また、「主の御名を呼ぶ者はみな、不義を離れよ。」テモテの手紙第二2章19節


ハマンは、エステルの属する民に害を及ぼす権限をすでに得ていたが、エステルがクセルクセス王の手から恩恵を受けて、ハマンの悪事を可能なかぎり無効にしようとしたとき、「王の名で」手紙を「書き、王の指輪でそれに印を押す」権限を得た。

それは、ユダヤ人にほぼすべての攻撃に抵抗することを許可するものだった。

この印は、王からの全面的な権限付与をエステルの手紙に与えた。
それを書いたのは、エステルの震えるか弱い手だったかもしれないし、モルデカイの力強い手であったかもしれない。

だがその手紙に権限と価値を与えたのは、王の印だった。

ある裕福な紳士が、小切手を振り出そうとする。
簿記係がオフィスにいなかったので、紳士は雑用係の少年に、未記入の用紙に名前と金額を記入させる。
少年が、読みにくい下手な字で書いた小切手を主人のところにもってくると、紳士はそれに自分の名前を署名する。

その小切手は、少年が書いたからといって、いくらかでも価値が下がっただろうか。
簿記係のしっかりした達筆で書かれていたら、もっと価値が上がっていただろうか。

いや、一セントも上がりはしない。
紳士の名前が小切手の正当性を証明し、最大限の価値を与える。
銀行にある紳士の預金は、すべてその名前に対して支払われることになっているからだ。

聖霊の印も同じだ。
私たちはある意味、お粗末な筆跡で書かれたキリストの書簡である。
インクがにじんで読みにくい字の者もいるし、弱々しい震えた字の者もいる。

それでも神に感謝すべきことに、署名はずっと同じ、聖なるキリストご自身である!
これが私たちに権限を与えるのである。

サミュエル・リダウト


印を押されるとは、経験の問題ではない。
神のみことばをよりどころとして受け入れられるという、かけがえのない事実である。

あなたが福音を信じたとき、あなたは聖霊によって印を押されたのだ。
いわば、父なる神が、あなたにご自分の印を押されたのである。

神はそのことを、あなたの内に住むように御霊を与えることによって行われた。
あなたの内に住んでおられる聖霊が、その印なのである。

ヘンリー・A・アイアンサイド


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