2020年7月12日(日)の手紙

2020年7月12日(日)


『主はご自分を恐れる者と親しく交わり、その契約を彼らにお知らせになる。』詩篇25篇14節


教会は、神の契約の民で成っている。
これは、教会は神の友で成っている、と言うこともできるだろう。
恵みの契約は、神とその民の間の友愛を意味するからである。

実質的に恵みの契約が成立したのは、人間が罪に堕ちた直後に、神が蛇にこう述べたときである。
「わたしは敵意を、おまえと女の間に、おまえの子孫と女の子孫の間に置く。
彼はおまえの頭を打ち、おまえは彼のかかとを打つ」。

サタンとの敵対は、神との友愛を暗示する。

さらに明確に神がアブラハムとの契約を立てたのは、次のように言われたときである。
「わたしは、わたしの契約を、わたしとあなたとの間に、またあなたの後の子孫との間に、代々にわたる永遠の契約として立てる。
わたしは、あなたの神、あなたの後の子孫の神となる」。

こうしてアブラハムは「神の友」となった。
聖書はアブラハムを繰り返しこの名で呼んでいる。

多くの強力な敵がヨシャファテ王を攻めてきたとき、王は神に助けを求めて訴えた。
「私たちの神よ。
あなたは、この地の住民をあなたの民イスラエルの前から追い払い、とこしえにあなたの友アブラハムの裔にお与えになったのではありませんか」。

神ご自身もはっきり言っておられる。
「だがイスラエルよ、あなたはわたしのしもべ。
わたしが選んだヤコブよ、あなたは、わたしの友アブラハムの裔だ」。

そしてヤコブも、「『アブラハムは神を信じた。
それで、それが彼の義と認められた」という聖書のことばが実現し、彼は神の友と呼ばれたのです」と語っている。

詩篇の作者はその言葉の中で、恵みの契約と、神とその民との友情とは同等だと述べている。
「主はご自分を恐れる者と親しく交わり、その契約を彼らにお知らせになる」。

あらゆる時代の信仰者がアプラハムの子孫であるかぎり、彼らは神の契約の民、神の友なのである。

R・B・カイパー


もしもキリストが隣の部屋で祈っておられるのを聞くことができたら、百万の敵をも恐れることはない。
それでも、距離が近いか遠いかは問題にならない。
主はぼくのために祈っておられるのだから。

ロバート・M・マクシェイン


a:88 t:1 y:0