2020年7月1日(水)の手紙

2020年7月1日(水)


『神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。』ローマ人への手紙8章28節


次の質問をさせていただきたい。

あなたは、際限なく苦しめられているか。
能力を超えて苦しめられているだろうか。

人生においてこんなふうに言う所に来ているだろうか。
「ほかの人たちは大丈夫なのに、なぜか私の場合はうまくいかない。
……聖なる生活について私が語って、何の役に立つのか。
……完全に明け渡すことを私が語って、何の役に立つのか。
……イエス・キリストの宣教に献身する生活について私が語って、何の役に立つのか。

私は出口のない特殊な状況にいる。
戻る道もない、通り抜ける道もない。
答えが見つからない!」

答えは、今いる場所で、神に信頼してゆだねることである。

極度に、あらゆる範囲を超えて苦しめられ、
能力を超えて激しく苦しめられ、
身体が苦しめられ、たましいが苦しめられ、
暗い大波に襲われるまで心が苦しめられ、
敵と、友からの圧力に苦しめられ、
苦しみによる苦しみで、人生が終わりそうなその場所で。

そうなのだろうか。
では、聞いてほしい。
もしもあなたが押しつぶされそうになっているなら、
内に向かって押しつけられているのだ。

神よりほかに助けのないことを知ることへと押しつけられ
「むちと杖」を愛することへと押しつけられ、
何ものにもまとわりつかれない自由へと押しつけられ、
不可能なことに対する信仰へと押しつけられ、
主にあって人生を生きることへと押しつけられ、
流れ出るキリストのいのちを生きることへと押しつけられて。

今日、あなたがその場所にいる理由はただ、神に信頼しゆだねるためである。

陰で立ち回ってはならない。
委員会を開いてはならない。
物事を思いどおりにしようとするな。
人を操るな。
策略や計略を立てるな。
静かに座って神に信頼せよ。
そうすれば神はあなたを自暴自棄から、死の宣告から救い出してくださる。

そして二番目は、現在の状況を進んで受け入れ、神のものと呼ばれる人たちのために、すべてのことがともに働いて益となることを信じなければならない、ということだ。

私たちの状況をそのままで受け入れる準備をしなければならない。
まさにこの点で「神の聖霊を悲しませて」いる人はかなりの数になる、と私は信じている。
彼らは自分の生活の状況を、神が与え、そのようになると認めてくださったのに受け入れる備えができていないのだ。

戦時中にあるご婦人に会ったときのことを思い出す。
「いかがお過ごしですか」と訊ねると、彼女はこう答えた。

「ええ、こんな状況にしては申し分ないですよ」
「ご主人はいかがですか」
「ええ軍隊におります。こんな状況ですけど無事にやっています」

次に私は訊ねた。
「では、お嬢さんは?」
「ええ、娘は軍にいるのですが、こんな状況ですからしかたないですね」

このご婦人の家族は全員が「こんな状況」にあった!

そして状況とは羽毛のマットレスのようなものだ。
マットレスの上にいれば快適だが、下にいたら窒息してしまう。

私の牧師室には、サミュエル・ラザフォードの書いた言葉が飾られている。
それは、聖書を別にすれば私にとってどんな言葉よりも意味のあるものである。

それはただ、こういう言葉だ。
「神が選択なさった状況に身をさらせ」

これはどういう意味だろうか。
朝、あなたと私が神の前に出て、その一日を神にささげるとき、神の寛容なみこころに認められないものは何一つその日に起こらない、ということだ。

すべてのことに然るべき場所があり、然るべき目的がある。

私たち自身のささいな計画をちょうど遮るようなものが介入してくるかもしれない。
邪魔をしたり変更したりするかもしれないようなことが……。

しかし、自分の道を神にゆだねているなら、その日に起こるすべてのことは神の寛大なみこころに認められたものなのである。

私たちはそれに対して反逆したりしない。
そうすることはたましいを苦々しくさせ、神が与えたいと願っておられる恵みそのものを失うだけだからだ。

むしろ自分をそれにさらす。
私たちはこう言う。

「ああ、神さま、これを受け入れます。
喜んで受け入れます。
実のところ、このことを喜んでいるのです。

あなたが私に教えたい教訓があるからです。
そして、あなたが教えたい教訓の中でいちばんすばらしいものは、あなたを見ることができないときにあなたに信頼することだ、と信じています」

では、あるがままに状況を受け入れようではないか。

ジョン・L・バード


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