2020年6月25日(木)の手紙

2020年6月25日(木)


『ご存じのように、あなたがたが先祖伝来のむなしい生き方から贖い出されたのは、銀や金のような朽ちる物にはよらず、傷もなく汚れもない子羊のようなキリストの、尊い血によったのです。』ペテロの手紙第一1章18節~19節


レビ人のいけにえについて何よりもはっきりしていることは、それが罪なき者が罪を犯した者の身代わりになることである、ということだ。

そしてこの面から贖い主の死を考えるべきである。
主がご自身を私たちのためにささげたのは、この意味においてである。
使徒ペテロが犠牲の尊さをこのように強調しているのもこの理由による。

このもっとも高価な血よりも劣るものでは、役には立たなかった。
単に個人の受難者の血であるのではなく、罪人の民のために苦しみを受けることのできるお方の血でなければならなかったからだ。

キリストの血が尊いのは、主の性質の気高さのゆえ、完全な性格のゆえである。
「傷もなく」とは、ご自身の罪はないということだ。
「汚れもない」とは、罪人との接触で汚されてはいない、ということである。

柔和で穏やか、純潔で、苦しみを訴えない子羊のように。
だからこそ、多くの恐るべき罪を洗い落とす働きにふさわしかったのだ。

ああ、尊い血よ!
ああ、その血の流れ出る、きよく、愛とあわれみに満ち、悲しみに砕かれたイエスの聖なる心よ!
ああ、その聖い血の泉に洗われて、雪よりも清らかな衣の白さよ!

F・B・マイアー


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