2020年6月24日(水)の手紙

2020年6月24日(水)


『ファラオの娘が水浴びをしようとナイルに下りて来た。』出エジプト記2章5節


ファラオの娘がエジプトの川へ水浴びに行くというような小さなことからイスラエルの解放が始まるなどと、いったい誰が思っただろう。

私たちの内にある「キリストの心」は、主として小さなことに見ることができる。
生活の日常的な事柄において神の前を歩むこと、言葉と行いが毎日イエスの御名の香りを放つようにすること。
これが真の聖さである。

ささいなことの中で必要なのは、上を見上げることである!
神を見上げ、神の助けを求めることなしに私は文章を書くべきではない。
なぜなら、一つの文で自分と他の人々を何か月も不安に陥れるほどの馬鹿げたことを書く可能性があるからだ。

日々のあらゆる状況を、神とふれあう機会に変えよう。
そうすれば、わずかな量のことが大きな恵みをもたらしてくれる。
わずかなことに関して従順かどうかによって、たましいの状態をもっともよく知ることができる。

私たちの小さな失敗について言い訳を探す必要がないのは、なんという大きな恵みだろう!
それを告白することは、さらに大きな恵みなのだ!

ロバート・C・チャップマン


能力と力が、目に見えないお方の栄光を高めることに従事しているとき、なんという喜びが心に湧き上がることだろう。

ロバート・レークス


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