2020年6月14日(日)の手紙

2020年6月14日(日)


『私たちをあなたがたと一緒にキリストのうちに堅く保ち、私たちに油を注がれた方は神です。神はまた、私たちに証印を押し、保証として御霊を私たちの心に与えてくださいました。』コリント人への手紙第二1章22節


私が百匹の羊を買いたいと仮定しよう。

私は最寄りの羊牧場へ行き、お目当てのものを見つける。
牧場主に「羊一匹につき、二ポンド払う用意がある」と言うと、相手はその値段で羊を私に売る契約を了承する。
私は代金を払い、こうしてその羊たちは私のものとなる。

さて次に、私は羊たちをどうするだろう。
羊の群れを家まで追って帰るだろうか。
いや、すぐさま家に連れて帰るわけではない。
私はそれほど急いではいない。

家まで連れ帰る前に、ペンキ入れを取り出して、すべての羊に一匹ずつ私の印をつけていくのだ。
もしもそれを怠って群れを家に連れ帰ったら、ほかの人々の羊と交ざってしまい、どれが自分の羊かわからなくなってしまうだろう。

残念ながら、クリスチャンもそんなふうにこの世に属する人たちと交ざり合って見分けがつかなくなってしまうことがしばしばある。
あの羊は脚に模様があるとか、耳が折れているとか、角でわかると思う、と言うだけではだめなのだ。

いや、自分の羊だと確信がもてないといけないので、私はどの羊にも独自の印をつける。
それと同じように、神は聖霊をお与えになることで、ご自分のすべての羊にはっきりと明確にご自身の印をつけるのである。

しかし、私はあなたに訊ねたいことがある。
羊が私のものとなったのは、私が印をつけたからだろうか。
いや、そうではないことをあなたは知っている。

私が羊に印をつけたのは、それが私のものだからだが、その羊が私のものになったのは、私がそのために支払った代金のおかげなのだ。
それだから、あるたましいを贖い、救い、神のもとに導くのはキリストのみわざであり、キリストの血なのである。

そしてそのクリスチャンにつける神の印として、その人に属するよきものの証拠として、その人の内に住むように聖霊が与えられる。
そうすることでそのクリスチャンは、天国に行くことを確信し、永遠のものを心に抱くようになって、それを楽しむのだ。

それは「イスラエルの子らがそこ(エシュコルの谷)で切り取ったぶどうのふさ」のようなものだ。
それは、ぶどうが一房ついた枝を二人で棒で担いだほどの見事なぶどうだった。

イスラエル人たちは、そのぶどうを見たときはまだその土地には入っていなかったが、ぶどうを目にしたことで、そこがどんな土地であるかを前もって知ることができたのだ。

あなたも私も天国に行く前に、聖霊によって天の国のことを味わっている。
私たちは、自分たちが天の国に属することを知っている。
自分たちが行くことになる場所の雰囲気を知っている。

父なる神を知っている。
救い主を知っている。
永遠のいのちをもち、父なる神との、そして子なる神との絆と親交を楽しんでいる。

このようにしてクリスチャンは、 この地上で自分の天国での生活を実際に始めたのだ。

人々はしばしばこう言う。
「私たちはあの世では幸せになれるよ」。

なぜ今、幸せではないのか。
どうして先延ばしにするのか。
主はあなたがこの地上で幸せになってほしいと思っておられるのだ。

ああ、だがあなたは言う。
「私は、自分はクリスチャンだという人を大ぜい見てきたが、彼らは幸せじゃなかった」と。

それはあまりにも残念なことだ。
彼らがクリスチャンなのであれば、幸せであるべきなのだから。
だがもしかしたら、彼らは本当のクリスチャンではないのかもしれない。
といっても、そのことが真のクリスチャンなどいない、という証明にはならないが。

若い男女の諸君は、未信者のままでいる理由をみつけたと思っている。
すなわち、これまでに何人かの不誠実なクリスチャンと出会ってきたから、というのだ。

ではこう訊ねよう。
あなたは100ドル札を手にしたら、いつも必ず火にくべるだろうか。
ニセの100ドル札が時おり出現するから、という理由で。

いや、あなたはそんな馬鹿なまねはしない。
なぜなら、ニセ札は本物の100ドル札がたくさんあることを再認識させるからだ。

だから、もしも私が偽のクリスチャンに出会ったとしても、それは真のクリスチャンがいることを証明するにすぎないのである。

さて、それではクリスチャンとはいったい何か。
クリスチャンとは、死とさばきを取り除かれて、神のもとに導かれ、その罪を赦された人間である。
新たな性質を帯び、聖霊を受け入れて、キリストによって神の前に新たな場所を与えられた「キリストのからだ」の「その部分」である者。

自分が神の子どもであること、神の相続者、キリストとの共同相続者であることを知っている者。
今や、自らの前に天国への確信だけがあり、私たちの主イエス・キリストが来られて、父なる神の家の永遠の憩いと栄光へと連れていってくださるのを待ち望んでいる者。

それだからクリスチャンであることはすばらしいこと、言葉に言い尽くせないほど恵みに満ちたことなのだ!

W・T・P・ウォルストン


クリスチャンとしての成長の偉大な秘密の一つは、主イエスを恵み深いお方として仰ぎ見ることである。

ああ、なんと大きな力を与えられることだろう。
主が私のために十字架の上で死んでくださったときと同じ愛と思みを、今この瞬間も私に対して抱き、与えてくださっているのを知ることは!

ジョン・ダービー


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