2020年6月1日(月)の手紙

2020年6月1日(月)


『王の心は、主の手の中にあって水の流れのよう。主はみこころのままに、その向きを変えられる。』箴言21章1節


神は人を通して働かれる。
委員会や連合軍や大きな組織ではなく、個人のたましいを通して働かれる。
地上における最強の力は個人のたましいなのだ。

神は、ある一つの心を獲得されると、その心を通してご自身の目的を広大な川のように注がれる。

私たちは神に近づけば近づくほど、個々のたましいを尊ぶようになる。

人間が主から離れてさまよっているときは、各個人は物の数に入らない。
絶対多数や重装備で固めた軍隊に信頼がおかれる。

バベルの塔は「さあ、われわれは自分たちのために、町と……塔を建てて、名をあげよう」と言った国家的な委員会によって建てられたのである。

だが神は一人の人アブラハムを選び出し、放浪の旅に召し出して、信仰をもった部族の創始者となる召命を与えられた。
また、ナポレオンは「これはまさに、『神は常に大軍の側にあり』ということなのだ」と言ったが、その言葉が真実だと立証するのを阻む、ある事が起こった。

そのある事とは、人のたましいに神が触れることだ、と最後にはわかる。
世界の歴史は、連綿と続く個人の人生の中に見出されるのである。

アラムの王は軍隊を送って預言者エリシヤを捕らえようとしたが、孤立したエリシャが祈ると、主は兵士たちを「打って目をくらまされた」。
エリシヤは「こうして、彼らをサマリアに連れて行った」。
これは全人類の歴史の一例である。

人はいつの時代も、軍隊や委員会や力を誇示することに依存しつづけている。
そして神は、静かにひそやかに、ある一つのたましいに啓示を与えられる。
その人は賢者よりも知恵があり、神の目的を思いもよらない形で成し遂げるのである。

G・D・ワトソン


神の人が、神に置かれた場所で、神のわざを、神のやり方で行うことが、すべての、神の真のしもべの立場である。

ハドソン・テーラー


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