2020年5月16日(土)の手紙

2020年5月16日(土)


『また、別の種は土の薄い岩地に落ちた。土が深くなかったのですぐに芽を出したが、日が昇るとしおれ、根づかずに枯れてしまった。』マルコの福音書4章5節~6節


根とは何か。
それは地面の下の成長である。

葉とは何か。
地面の上の成長である。

根は隠されたいのち、葉は明らかにされたいのちである。

多くのクリスチャンにとっての悩みは、目に見えるいのちはたくさんあっても、秘められたいのちがほとんどないことだ。

あなたがクリスチャンになってから、もう何年もたっているではないか。
だから、こんな質問をさせてほしい。
あなたの人生で、見えないように隠された部分はどのくらいあるだろうか。
ほかの人々に知られていない部分は、どのくらいあるだろうか。

あなたは外に向けた働きに重点を置いている。
確かに、よい働きは重要だ。
しかし、あなたの生活の明らかに現された部分を除いたら、隠された部分はどのくらい残っているだろう。

もしもあなたの霊的な生活がすべて露わにされているなら、あなたの成長はすべて上方に向かったものだ。
そして下方への成長はまったくないのだからあなたには根がないことになる。

私たちのクリスチャン生活において必要なことは、キリストのからだの意味を学ぶことである。
協調して生きることを学ばなければならないのだ。

一方、主によるキリストのからだである教会の一人ひとりに与えられたそのいのちは、明確に個人的なものであり、主によって個人的にあなたに与えられた分を守る必要があることを学ばなければならない。
そうでなければ、その分は具体的な特徴を失い、主にとってこれといって役に立たないものとなってしまう。

もしあなたに特別にゆだねられていたものが吹きさらしにされたら、それは枯れてしまうだろう。

主イエスの『山上の垂訓』は、実に驚くべきものだった。
イエスは一方では「あなたがたは世の光です。
山の上にある町は隠れることができません。
……あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようになるためです」と言われたが、また一方ではこう言われた。

「人に見せるために人前で善行をしないように気をつけなさい。
……あなたが施しをするときは、右の手がしていることを左の手に知られないようにしなさい。
あなたの施しが、隠れたところにあるようにするためです。
……あなたが祈るときは、家の奥の自分の部屋に入りなさい。
そして戸を閉めて、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい」。

あなたがクリスチャンであれば、そのことを明らかにして人前で告白しなければならないが、その一方で人の目にふれないようにすべきクリスチャンの美徳もある。
自分の美徳を何もかもひけらかすクリスチャンにはなんの深みもない。
根がないから、試練と誘惑の日にしっかりと立っていることができない。

この長い歳月、主の子どもであった私たちは、自分たちの経験がどの程度まで人目にさらされてきたかを示してくださるように主にお願いしよう。
そしてまた、この人生において私たちが確実に主に深く根ざしていけるように働いてくださることをお願いしようではないか。

ウォッチマン・ニー


……正しい人の根は芽を出す。

箴言12章12節


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