2020年5月15日(金)の手紙

2020年5月15日(金)


『また、あなたがたは自分の足のために、まっすぐな道を作りなさい。足の不自由な人が踏み外すことなく、むしろ癒やされるためです。』ヘブル人への手紙12章13節


あなたは農夫が畑を耕しているところを見たことがありますか。
畝をまっすぐにするためには、農夫は畑の向こう側にある木や柵の柱といった目標物に目を固定していなければなりません。
そうすれば、その目標に向かって外れることなく鍬をふるっていけるからです。

もしも畝がまっすぐにできているかどうか確かめようとして後ろを振り返るようになると、鍬は右に左に外れはじめる。
その結果、農夫が耕している畝はジグザグになってしまうでしょう。

私たちが自分の「足のために、まっすぐな道を作り」たいなら、パウロがしたように「うしろのものを忘れ、前のものに向かって身を伸ばし、キリスト・イエスにあって神が上に召してくださるという、その賞をいただくために、目標を目指して走っている」ようにしなければなりません。

「うしろのものを忘れる」ことは、「神が上に召してくださるという、その賞をいただくために、目標を目指して走る」ためには欠かせないものです。

この賞は、私たちが過去を忘れないかぎり、決して到達することができません。
過去を忘れるとき、私たちはすべての自己審問を終わらせます。
自分の過去の悪行について振り返らなくなれば、内省のための材料が見つけられなくなるからです。

ハンナ・ホワイトール・スミス


主が私のたましいに深い敵を刻むために鍬をふるわれることに、なぜひるむ必要があるのか。
主が怠惰な農夫などではないこと、それどころか豊かな実りを目指しておられることを、私は知っている。

サミュエル・ラザフォード


ああ、わが主よ!
我にひたむきさを与えたまえ。
ただひたすら汝を目指す一途さを。

我、生きることを欲す。されど我ではなく、
イエスが、我が内に生きられんことを。

オーガスタス・トップレディー


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