2020年5月1日(金)の手紙

2020年5月1日(金)


『実にキリストは、私たちがまだ弱かったころ、定められた時に、不敬度な者たちのために死んでくださいました。正しい人のためであっても死ぬ人はほとんどいません。善良な人のためなら、進んで死ぬ人がいるかもしれません。しかし、私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死なれたことによって、神は私たちに対するご自分の愛を明らかにしておられます。ですから、今、キリストの血によって義と認められた私たちが、この方によって神の怒りから救われるのは、なおいっそう確かなことです。敵であった私たちが、御子の死によって神と和解させていただいたのなら、和解させていただいた私たちが、御子のいのちによって救われるのは、なおいっそう確かなことです。』ローマ人への手紙5章6節~10節


自分のせいで愛されないのだと謙虚なふりをして、神とキリストの愛を疑う者はいるだろうか。
そういう人はこの聖句を読んで、いかにして主が、「まだ弱い」人たちを私たちのもとに引き寄せておられるかを見てほしい。

それは「不敬慶な者」、「敵」、「罪人」であり、そうした人たちに対して明らかにしている愛を、神は主イエスの死によって示しておられるのだ。

神の内に見出す私たちに対する愛は驚くべきものだ。
だが、さらにすばらしいのは、その愛を阻むものが私たちの内にどれほどあろうとも、その愛は自らを閉ざすことがないばかりか、私たちに対して明らかになるように求めていることである。

人が憐みと同時に真の愛を感じながら、それを決して相手に伝えようとしないようなことがあるだろうか。
なぜなら、そうすることによって、人は交流したいという欲求と、愛する相手にそれに応える力があることを証明するからだ。

そして、神が「私たちに対するご自分の愛を明らかに」することを求めておられることは、親交を結びたいと願っておられることを確かに示している。
そのことが明らかになったところにおいては、恵みを通してそれに応える力が与えられる。

「御子の死によって神と和解させていただいた」私たちが神を愛するのは、神が最初に私たちを愛してくださったからである。

ジョージ・V・ウィグラム


「正しい人」が天国へ行ける計画なら、誰でも編み出すことができる。
神の「敵」である「罪人」が天国へ行ける計画を編み出せるのは、神お一人だけである。

ルイス・スペリー・チェイファー


神の恵みが探し求めているのは、よしと認められる「正しい人」ではない。
正しいことを認めるのは恵みではなく、正義にすぎないからだ。

だが恵みが求めているのは、神のさばきによる死刑を宣告された罪深い、言葉もなく無力な者たちである。
彼らは恵みによって救われ、聖められ、栄光を与えられるのである。

C・I・スコフィールド


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