2020年4月9日(木)の手紙

2020年4月9日(木)


『淵が淵を呼び起こし』詩篇42篇7節


神は恵みによって私たちを通して、あることを達成されたが、神が成し遂げられたことは宣伝や宣伝活動の類いではないことをしっかり心に留めておく必要がある。

もしも私たちが神のみわざを人目にさらすようなまねをしたら、たちまち破滅が触手を伸ばしてくるだろう。

主と私たちとの密やかな歴史は、主が私たちに明かすように求めておられることを除いて守られなければならない。
ただ、主が何かを啓示するために私たちの内で動かれる場合には、恐れずにそれを明らかにする。

主がある体験をクリスチャンの兄弟に分かち合うことを望んでおられるなら、それを抑えることはしない。
「キリストのからだ」という「律法に背くことになるからだ。

交友は共同生活のおきてだから、ひとりのメンバーの内にキリストのいのちがわきあがってほかのメンバーに向かって流れ出るときは、それを抑えてはならない。

私たちは消極的にはならず積極的になって、常に他の人々にいのちを伝えていかなければならないのだ。
もしも私たちが一日じゅう自分自身の体験で頭がいっぱいになって、朝から晩までそのことを語っていたら、敵の攻撃に身をさらすことになる。

「キリストのからだ」とは何であるか、メンバーの間にいのちが流れ合うのはどんなことなのかを、私たちは学ぶべきだ。
また「キリストのからだ」の構成員として特に必要な防衛の必要性をも学ぶべきだ、と私は思う。

あなたは、自分の秘密のいのちが深まっていくにつれて、「淵が淵を呼び起こ」すということを発見する。
自分の内なる人生の深淵から価値を引き出せるようになったとき、ほかのいのちも深く影響を受けることを知るだろう。

外に向かう強力な動きはいっさいなしに、内なるいのちの動きに静かに反応するだけで、ほかのいのちに手を差し伸べる。
そしてそのいのちが助けられて、その人のいのちに気づきが与えられる。
それは意識よりも深い深淵の中で、深淵が深淵に答え、その人が深淵と出会うということである。

もしもあなたのいのちに深淵がなかったら、あなたの表面的な働きはほかのいのちに表面的な影響しか与えない。
そして、私たちは繰り返していく。
ひたすら「淵が淵を呼び起こ」すということを・・・。

ウォッチマン・ニー


キリストを高く認めれば認めるほど、この世界を生き抜き、それに打ち勝つ霊的な活力は増していく。
もしもあるクリスチャンがほかのクリスチャンよりも霊性が高いとしたら、それは彼が人としてのキリストをもっとよく知っているからなのだ。

ジョン・ダービー


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