2020年4月19日(日)の手紙

2020年4月19日(日)


『ですから、私の兄弟たちよ。あなたがたもキリストのからだを通して、律法に対して死んでいるのです。それは、あなたがたがほかの方、すなわち死者の中からよみがえった方のものとなり、こうして私たちが神のために実を結ぶようになるためです。私たちが肉にあったときは、律法によって目覚めた罪の欲情が私たちのからだの中に働いて、死のために実を結びました。しかし今は、私たちは自分を縛っていた律法に死んだので、律法から解かれました。その結果、古い文字にはよらず、新しい御霊によって仕えているのです。』ローマ人への手紙7章4節~6節


イエスを信じる者たちよ!
モーセの律法から遠ざかっているように気をつけよう。
それは罪の宣告と死の務めにほかならないからだ。

ただキリストおひとりによって義とされること以外の思いを抱いてはならない。
十字架につけられ、よみがえられたキリストを、あなたの喜びと平安の唯一の源泉としよう。

モーセの律法のことを考えるときは必ず、それが完全に成就し、拡大され、名誉あるものとされたこと、そして律法の呪いはすべてあなたのためにキリストが徹底的に負ってくださったことを思い起こそう。

律法がイエスの十字架に釘付けられ、取り除かれ、その敵意はすべて完全に壊滅させられたので、どんなに弱々しくてもキリストへの信仰をもつ者に対しては、次のように大胆に述べられることに目を向けよう。

「罪があなたがたを支配することはないからです。
あなたがたは律法の下にではなく、恵みの下にあるのです。」

主の小さき者たちのためのパン層


主イエスは、私たちの内に住まわれるだけではなく、クリスチャンとしての私たちの人生を動機づける目的となられる。

律法は、もはや私たちの人生の動機でも規則でもなく、完全にあるお方に取って代わられている。
そのお方こそ、「私を愛し、私のためにご自分を与えてくださった、神の御子」である。

これ以後、人は新たな中心と源泉をもつことになる。
もはや自己を中心とするのではなく、キリストを中心とするのである。

C・A・コーツ


神の律法は正しく聖く完全なものだが、罪人を義と認め聖化するにはまったく無力である。
どんなにしても古い性質はよくすることができないし、といってそれを新しい性質の規則にすることもできない。

古い人はそれに従わないし、新しい人には必要がない。
新たに創造された者には、目の前に別の目的と自分に影響を及ぼす別の力がある。

それは、神に愛され受け入れられるものを生み出すためのもの・・・聖霊の力によって実現される。
その目的であるキリストを生み出すためのものなのだ。
ウィリアム・ケリー


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