2020年3月26日(木)の手紙

2020年3月26日(木)


『ヤコプの中に不法は見出されず、イスラエルの中に邪悪さは見られない。』民数記23章21節


私たちの救いは父なる神による。
神は、時が刻まれるまえから私たちを選んでくださった。
私たちの救いはまた、永遠なる御子による。

主は、常に誉め讃えられるべき三位一体なる神の深慮に基づいて、私たちを贖い、私たちに栄光を与えてくださった。
私たちの救いはそして、聖霊による。
聖霊は、御父・御子と同じ永遠の愛によって神に選ばれた人々を啓発し、活気づかせ、一新させ、永遠に続く相続の恵みに導くように指示された。

この永遠の完全無欠な、束縛のない不変の愛は主イエスによって啓示され、私たちに与えられている。
主はその御名によって信じる者すべてを、「一つのささげ物によって永遠に完成された」。
その死により、イエスは私たちを自分たちの罪と死から引き離し、神のもとへ導いてくださったのだ。

主は私たちのためにご自身を聖別され、私たちをご自身のために聖別された。
信徒たちは聖別され、罪咎のない身となって、主イエスにおいて父なる神の前に立たされた。
御父の大いなる喜びや満足は今や、イエスが身代わりとなって死なれた人々に向けられている。

このように神は常に私たちを、キリストによる永遠の愛をもって見ておられる。
御父にあっては「ヤコプの中に不法は見出されず、イスラエルの中に邪悪さは見られない」。

私たちは御父の前で、隠されていたものすべてを明らかにするまばゆい光の中に立っている。
だが御父が見ておられるのは、「白い衣を着せられる」、御子イエス・キリストの血によってきよめられた私たちの姿である。

私たちは絶えず失敗を重ね、つまずいているが、それでも神は私たちの信仰を決してゆるがぬものとして、私たち自身を「シオンの山のよう」に「揺るぐことなく、とこしえにながらえる」ものとして見ておられる。

神は決して変わらぬ熱くあわれみ深い愛をもって、私たちをキリスト・イエスによって選ばれ、贖われ、聖別された者として見ておられるのだ。

完全さは今や信ずる者すべてに与えられている。
神ご自身が私たちの救いなのだ。
ヤハウェなる主ご自身が私たちの義であり、キリストが受け継がれたものを私たちが受け継ぐ。

源は永遠の愛、ほかのものに動かされない、岸のない無限の海であり、水路は無償のあふれるばかりの恵み。
「神の賜物は……永遠のいのち」。
聖霊による、イエスと一つであるいのちであり、土台となるものはキリストが示された従順である。

その始まりは永遠によって定められ、その価値は限りなく、その特徴は言葉に尽くせぬほど神に喜ばれる。

私たちはどれほど進んで自分自身の思いを捨て、自分自身の義を放棄し、自分の働きと感情を忘れることができるだろうか。
畏れと喜びをもって神をあがめ、「しっかり立って………主の救い」と義を見ることができるだろうか!

私たちは「神によってキリスト・イエスのうちにあります。
キリストは、私たちにとって神からの知恵、すなわち、義と聖と贖いになられました。
『誇る者は主を誇れ』と書いてあるとおりになるためです」。

アドルフ・サフィア


クリスチャンとは、過去のことを考えるときに、自分があずかってきた恵みを思う人のことだ。
そして未来を考えるとき、啓示される栄光にあずかることに想いを馳せる。
私たちの人生のすべては、この境界の内にある。

J・C・マン


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