2020年3月22日(日)
『神がこう言われるとおりです。「わたしは彼らの間に住み、また歩む。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。」』コリンと人への手紙第二6章16節
福音の目的は、いい人間を作ることではない。
単なる行いの間題ではなく、むしろ、神の特別な人々・・・神の選民を作ることなのだ。
彼らは神にとって特別に選ばれた民なので、神は彼らのもとに来て、彼らの内に住み、彼らの人生の指揮官となられる。
なんとすばらしいことではないか!
皮相的なことを排除して大胆に語るなら、クリスチャンの人生はキリストの再生である。
千九百年前に地を歩いておられたお方が、私たちの内で再び歩まれる。
「わたしは彼らの間に住み、また歩む」。
かつて一つの身体の内に血と肉でご自身を表されたお方が、今はどの身体においても・・・あなたの身体でも私の身体でも、福音を信じ、その恩恵を受け取るすべての人の身体において、同様に表されることを求めておられるのだ。
こうしてキリストの血と肉で表現された人生は、言葉に表せないほどすばらしい。
その可能性は実に驚異的だ。
それを受けそこなってしまう人のことを考えてほしい!
「だけどさ」と、ある疑い深いトマスは言う。
「それはすごいだろうよ、もしもうまくいったらね。
もしも、そのように生きることができたらね」。
もしもそれがうまくいかなくても、失敗したのは私たちであって、キリストではないことを認めよう。
エンジンはフルスピードで回転しているのに、タイヤはびくとも動かない自動車の場合と同じだ。
動力は十分なのに、伝動装置が働かないのだ。
私たちは主の力を伝えて自分の日々の生活を変えることができずにいるのである。
ノーマン・B・ハリソン
自分の無力さこそが、私たちの動力源なのだ。
私たちは自分が何もできないから、神ご自身に私たちの内に入っていただかなければならないことを悟ったのだ。
ジョン・ダービー
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