2020年3月2日(月)の手紙

2020年3月2日(月)


『私たちはみな、覆いを取り除かれた顔に、鏡のように主の栄光を映しつつ、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられていきます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。』コリント人への手紙第二3章18節


今日の健全な教会における活動的なメンバーの大部分は、何よりもまず行動的である。
彼らの主要な関心は主のために労することだ。

しかし、人生において奉仕に重きを置くようになると、ほとんどの場合、自分自身に駆り立てられて行動することになる。
私たちの誰もが遅かれ早かれ、どんな形の自己努力であっても、その結果は不毛な荒れ地、霊的な「死の陰の谷」にすぎないことを学ぶはずだ。

奉仕が生活の主要素になると、とくにクリスチャン生活が形成される歳月においてそうなると、私たちの成長は止まり、干上がってしまう。

それとは逆に、キリストによる成長が第一にされると、奉仕は決して低迷することはなくなる。
さらには私たちのライフワークも、主の時と方法によって、身体的にも精神的にも霊的にも挫折することなく、成し遂げられるようになる。

教会の悲劇は、奉仕中心の信徒は、自分が実りある奉仕だとみなしていることについての発達と訓練以外の霊的な成長には、まったくと言っていいほど関心を払っていないことである。
そうした信徒はもともと利他的なので、近くの人々を助けることよりも霊的な成長を優先するという考え方には愕然としてしまうのだ。

そうした活動家はおのれの罪や、自分の人生における主の十字架の必要性や、自分が「主と同じかたちに姿を変えられ」るという神の目的に気づくようになることはめったにないようだ。

私たちの教会の主要な問題は、信徒席にただ座っているだけの圧倒的な数の人々の存在だ、と感じている信徒は少なくない。
だがまた一方では、教会の中の非常な働き手の大軍団も似たような問題となっている。
まったく何もしないのも、やりすぎるのも、どちらも神の目的を妨げるものだ。

クリスチャンに対する神のみこころは 「存在」(である)という言葉に表されている。
それが今度は、効果的な「行動」(行う)という結果をもたらすのである。

マイルズ・スタンフオード


あなたが自分の人間性を表面に出さずにおくことで神をあがめればあがめるほど、その働きにおいてより多くの祝福を受けるだろう。

エドワード・デネット


ああ、神がこの世の中であなたのために働いてくださっていることを信じるのはなんと難しいことか!
神がこれまで私たちのために労してきてくださったことを信じるよりも、私たちがキリストの働きを行うことのほうがはるかにたやすいからだ。

J・G・ベレット


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