2020年3月1日(日)の手紙

2020年3月1日(日)


『主は絶えずあなたを導いて、焼けつく土地でも食欲を満たし、骨を強くする。あなたは、潤された園のように、水の涸れない水源のようになる。』イザヤ書58章11節


私たちは、神が夜の夢や幻という手段によって人に語られることがあることは疑わない。
しかし神の子どもが導かれる真の適切な方法は、みことばと神の霊によるものだと考えている。

夢や人の心の印象によってのみ導かれることは、実に危険な根拠だからだ。
不滅で堅固な神のみことばのほうがはるかに好ましい。

深く懸念されているのは、実に多くのクリスチャンが、自分の好みを神の御霊の働きだと勘違いしていることである。
とんでもない間違いだ!
聖霊の貴重な導きを見極め、従うためには、大いに砕かれ、おのれを無にして正しく見ることが必要なのだ。

概して、私たちが導かれていると感じる行動の唯一の目標がキリストの栄光である場合には、私たちを動かしているのは主の御霊であるといっていいだろう。
主は実に恵み深いお方なので、従順な心であれば、主が私たちを導き、守り、用いてくださることを完全に期待できるのだ。

C・H・マッキントッシュ


父なる神の導きと「光の御使いに変装」したサタンの誘導とを見分ける方法がある。

御父の指示はしつこく悩ませたり、困らせたり、苦しめたりすることは絶対にない。
サタンはまさにそのとおりに行う。

もしも、それ自体は良いことをさせようとする「誘導」のようなものを感じても、その衝動とともに何か不安感をあおって、ある方向に駆り立てるような感覚があれば、それはサタンだという目印である。
その偽りの導きを認めたなら、即座に拒絶するべきだ。

聖霊の導きは心に安らぎと平穏をもたらす。
たとえそれが御父の恵みによらなければ進むことのできない、いかにも困難な方向を指し示していたとしても。

チャールズ・G・トランブル


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