2020年2月9日(日)の手紙

2020年2月9日(日)


『あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまっているなら、何でも欲しいものを求めなさい。そうすれば、それはかなえられます。』ヨハネの福音書5章7節


神は天地創造を、主権者としてただひとりで行われた。
だが、贖いの目的を明らかにするにあたっては、別のやり方を意図された。
人間という道具をご自身と結びつけ、創造することの胸躍る喜びを彼らと分かち合うことを選ばれたのだ。

キリストが人となられたのは、このご計画を達成する一環だったのである。

人間となるために御子を遣わされたことによって、神は新たな方法でご自分の目的を現された。
それは、ご自身が人との関係において、人との関係を通して働くように、自らに制限を設けられたことである。

この働きの関係において、きわめて重要で欠くことのできない部分は祈りである。
神は、御子が集中して祈っているときに、みこころを伝えられたので、私たちの主は、人けのない場所で多くの夜を祈りに費やされた。

そして地において、父なる神のみこころに従って働きながら、「仲介者」は、しるしと奇跡を行うときには祈りによって求めた力に頼った。
なぜなら、その方のみこころは父なる神のみこころと同一のものだったからだ。

このことは、神聖な祈りの根本的な原理に私たちを導いてくれる。
それは、神が、ご自分が行いたいと望むすべてのことにおいて、ご自身と神の民とを結びつけること。
まず祈るように彼らを導き、次に彼らに祈り求めさせたものを与える、ということである。

神のみこころは、アハブのせいで旱魃に見舞われた地に雨を降らせることだったが、おひとりでは行わなかった。
エリヤにご自分の意図を伝えることによって、ご自分の目的の中でエリヤとご自身とを結びつけたのである。
そしてエリヤが祈ると、神は行動を起こされた。

エリヤはまず最初に、イスラエルに旱魃をもたらすことができた。
それは単に彼の「ことばによるのでなければ……露も降りず、雨も降らない」ように祈っただけではなく、最初にこう言うことができたからだ。

「私が仕えているイスラエルの神、主は生きておられる」。

エリヤは彼の時代に蔓延していた状況に対して、自分の思いつきで始めたのではなく、神のみこころを行うために神とともに行動したのである。

同じ原理を主イエスは「二階の大広間」での説教の中で、「ぶどうの木と枝」の象徴によって教えた。
「イエスにとどまる」ことは、私たちが求め、ご自身が行動するために主が定めた条件である。

主イエスと父なる神との間でみわざを行うために定められた取り決めは、新しい契約に基づいた主イエスと主の教会との関係において永遠に存続する。
それが活動手順の規範となったのである。

アーサー・マシューズ


祈りは、聖霊なくしては不可能な務めである。

サミュエル・チャドウィック

神がご自分の民に大いなるあわれみをかけようと思われるとき、最初になさることは彼らを祈りに向かわせることだ。

マシュー・ヘンリー


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