2020年2月27日(木)の手紙

2020年2月27日(木)


『礼拝する人たちは一度できよめられて、もはや罪を意識することがなくなる。』ヘブル人への手紙10章2節


「礼拝する人たちは一度できよめられて、もはや罪を意識することがなくなる」。
神は、信ずる者に罪を負わせることはなさらない。
私に対して再び罪の贖いを要求なさることは決してないのだ。

繰り返し言うが、神は罪に関して私に何の要求もなさらない。
もしも神が私に要求されるなら、罪の贖いがなされなければならない。

それは神が罪を不問に付すという意味だろうか。
いや、そうではない。
もしあなたがさばかなくても、罪を犯したものは罪の代価を支払うべきなのだ。

私の言うことをよく聞いてほしい!
あなたは人生において、これが真実だということを経験するだろう。
すなわち、自分がさばかなくても、罪を犯したものは罪の対価を支払い、罪のために苦しむのだと。

パウロは、「そのような者を、その肉が滅ぼされるようにサタンに引き渡したのです」と言ったが、それはパウロの言っている贖いではなかった。

彼の意味する贖いは「そのような者を、その肉が滅ぼされるようにサタンに引き渡したのです。
それによって彼の霊が主の日に救われるためです」。

親愛なる友人たちよ、もしもあなたが自分の罪を本当にさばいてきたのなら、神が罪をご自身から離されたのと同じくらい遠くに、あなたも罪を遠ざけてきたはずだ。

神は罪を十字架に付けられた。
あなたにとって、それ以外の場所はない。
まさにそれこそが、真の自由なのである。

J・B・ストーニー


こうして信じる者たちはすべて受け入れられた。
愛するお方に完全に、永遠に受け入れていただいたのである。

神は彼らをキリストによって、キリストを見るようにご覧になる。
キリストを思うように彼らのことを思い、キリストを愛するように彼らのことを愛しておられる。
彼らは、愛する神の聖なる御子によって、神に完全に受け入れられ、御前に常に出ることができる。

いかなる人も、いかなる物事も、この彼らの栄光に満ちた高い地位をさまたげることはできない。
その場所は、神の恵みの永遠に変わらぬ強固さ、神の御子の完成されたみわざに基づくものであり、天から遣わされた聖霊によって立証されているのである。

C・H・マッキントッシュ


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