2020年2月21日(金)の手紙

2020年2月21日(金)


『この奥義が異邦人の間でどれほど栄光に富んだものであるか、神は聖徒たちに知らせたいと思われました。この奥義とは、あなたがたの中におられるキリスト、栄光の望みのことです。』コロサイ人への手紙1章27節


聖霊は、私たちの心の中に来られるとき、十字架の上で完全にみわざを成し遂げたキリストを連れてこられ、さらに私たちをキリストに一致させつづけてくださるのだ。

あなたは、自分の内におられるキリストが不完全なキリストではないことをわかっているだろうか。
主イエスは、カルバリのみわざを行われたとき、赦しの問題だけに対処されたのではなく、贖いの完成にも進まれ、ついには偉大なる勝利者として御座につかれたのである。

人間としてのキリストにおいて、霊的な経験のすべての基盤は網羅され、完成されている。

あなたや私を訪れる経験で、神の目的に達することを不可能とするものはない。
キリストがすでにその経験と出会い、打ち勝っておられるからだ。

だから私たちは完璧を求めてむなしい努力をするのではなく、キリストが十字架上で成し遂げた力あるみわざを、聖霊が私たちの内に実現なさるように協力すべきである。

あなたの内におられるキリストこそが栄光の希望なのだ。
それより劣るもの、それ以外のものは、栄光の希望をもたらすどころか、むしろ絶望しかもたらさない。

T・オースティン=スパークス


クリスチャン人生の極致は、おのれ自身が完全に見えなくなって、キリストをすべての中心とすることである。
たましいが良好な状態にある印は、キリストがともにいてくださることを喜び楽しむことにある。

エドワード・デネット


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