2020年2月11日(火)の手紙

2020年2月11日(火)


『ああ、神の知恵と知識の富は、なんと深いことでしょう。神のさばきはなんと知り尽くしがたく、神の道はなんと極めがたいことでしょう。』ローマ人への手紙11章33節


主が今おられることをどうやって知るかと問われたら、主の道は見つけることのできるようなものではないから、私はこう答える。
すなわち、みことばは生きて働いており、主は私の内に入られるとすぐに、病んでいて石のように硬かった私の眠れるたましいを目覚めさせ、揺り動かし、やわらげ、刺激される、と。

主は引き抜いて駆除し、造り上げて植えつけ、乾いた場所に水を注ぎ、暗闇に光をあて、閉ざされていたものを開き、冷えていたものを温め、曲がっていたものをまっすぐにし、でこぼこの場所をなだらかにされはじめた。

そのために私のたましいは主をあがめ、私の内にあるすべてのものは主の聖なる御名をほめたたえる。

こうして「花婿」が私の内に入られた。
「花婿が来た」のを五感で知ることはなくても、私の心の動きだけで主がおられるのがわかった。

私が主の力を感じとったのは、私の罪を敗走させて、私の衝動のすべてに強い支配力を発揮してくださったからだ。
隠れていた私の過ちをあばき、その罪深さを教えてくださる主の英知にも驚き、感動している。

私は主の優しさとあわれみ深さを、驚嘆するほど経験してきた。
私の心構え、つまり、私のもっとも深い本質を一新し、造り直すことで主の栄光を見、主の多様な偉大さを目のあたりにして、畏怖に満たされてきたのである。

クレルボーのベルナルドゥス


神は無限の恵みであられるので、その輝かしいご臨在を感じるときはいつでも、信ずる者の心に喜びを与えてくださいます。
同様に、神に向かって進む一歩一歩が、幸せを増してくれるのです。

スザンナ・ウェスレー


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