2020年12月9日(水)の手紙

2020年12月9日(水)


『神の御子を信じる者は、その証しを自分のうちに持っています。』ヨハネの手紙第一5章10節


確固たる平安を享受するために絶対に欠かせないのは、心を ひたすら聖書の権威に置くことである。
これ以外に有効なものは皆無だ。

内なる確証や霊的な経験、快適な環境、幸福な感情はすべて、きわめてよきものであり、価値あるものであり、望ましいものである。
実のところ、然るべきところにありさえすれば、どれほど高く評価してもしきれないほどだ。

しかし、その然るべき場所がクリスチャンの立ち位置の土台となっていないことは確かである。
もしそうしたものを自分たちの平安の土台として見るなら、あっというまに雲に覆われたように確信をなくし、みじめな気分になってしまうだろう。

本書の読者は、この点について理解するのに、どれほど単純であっても単純すぎることはない。
みことばによる聖霊の証しに、幼子のようにゆだねて信頼するべきである。

「神の御子を信じる者は、その証しを自分のうちに持っています」というのは、恵みに満ちた真実なのだ。
そしてまた御霊ご自身が、私たちの霊とともに、私たちが神の子どもであることを証ししてくださいます」。

これはすべてクリスチャン生活にとっては基本的なことだが、聖書に記されている聖霊の証しと絶対に混同してはならない。
神の御霊は誰に対しても、ご自分の働きを平和の礎とするのではなく、キリストが完成された働きと、変わることのない神のみことばのみを礎として、その上に築き上げるように導いておられる。

このキリストの働きと神のことばにひたすら単純にゆだねればゆだねるほど、私たちの平安はさらに確固たるものとなり確証はさらに明確になり、身体はさらに活き活きとし、感情はさらに満ち足りて、経験はますます豊かなものとなるだろう。

要するに、私たちが自分自身とそれに属するいっさいのものから目をそらして、聖書の明確な権威に基づいてキリストにゆだねればゆだねるほど、御霊を思うようになるということである。

そして聖霊に動かされた使徒パウロは我々に、御霊の思い、つまり、聖霊を思い、従うことはいのちと平安ですと語っている。

御霊に従っていることのいちばんの確証は、キリストとみことばに子どものようにゆだねて安心することである。
逆に聖霊を思わない心の最たるものは、自分のことばかり考えていることだ。

自分たちの確証やそのほか何であっても、自分たちのものを売り物にするのはまずいやり方である。
それは一見、敬度そうに見えるが、キリストから引き離そうとするものだ。
聖書から、神から、引き離すものである。

これは敬虔でも信仰でも、キリストの教えでもない。

C・H・マッキントッシュ


私は毎年、自分が生活している日々の中で、ほとんどこのように言えそうです。

私たちのクリスチャン生活の憩いと喜びと力のすべてがいかに一つのことにかかっているか、さらにはっきりわかってきたようだと。

それは神のことばをそのままに受け取って、神のみこころはそのことばどおりであることを信じ、ほかの言葉で代用したり、主が適切だとみなした時制や、能動態か受動態かの動詞の形態を変えることなく、主が慈愛と恵みを示されたみことばをそのまま受け入れることなのです。

フランシス・ハバーガル


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