2020年12月5日(土)の手紙

2020年12月5日(土)


『まことに、あなたがたに言います。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに入ることはできません。』マルコの福音書10章15節


私たちは時として小さな子どもに教えられることがある。

これは何年か前、私の娘が寝る前のお祈りをしていたときのことだ。
娘のお祈りを聞けるなんて、そうそうあることではない。

その土曜の夜、私は娘のベッドの傍らで娘のお祈りに耳を傾けた。
あなたも六歳か七歳の子どものお祈りがどんなものかはご存じだろう。

「神さま、パパとママと、おじさんとおばさんと、それから宣教師の先生たちをお守りください……」というような。

そうした祈りを神が聞いててくださることを、私は信じている。
しかしその夜、娘は祈りの最後にある願いを付け加えたのだった。

「主イエスさま、お願いです。
あたしをパパみたいに大きくて強い人にしてください」と。

私も人の子、胸にこみあげてくるものがあった。
急いで娘に毛布をかけ直してやり、書斎へと向かった。

翌日の説教の準備をしようとしたが、その夜はできなかった。
聖書を手にしても読めなかったのだ。
読もうとするたびに娘のあの声が聞こえてきた。

「あたしをパパみたいに大きくて強い人にしてください」。

やがて私は、二階の娘の部屋にそっと入っていった。
娘はすやすやと眠っていた。

私は娘のそばにひざまずき、ありったけの心を注ぎ出して神に訴えた。
「ああ、主イエスよ、どうか私を、私の幼い娘のように優しく穏やかで、愛らしく純粋で、善良なものとしてください」

これがクリスチャン生活の成功の秘だと、私は信じている。
神がその祈りにどの程度答えてくださったかはわからない。
だが私自身の人生において、最近は以前よりもずっと答えてくださっていると信じている。

願わくは、あなたにもその祈りがかなえられんことを。

アラン・レッドパス


子どもにとって、ほかのどんな場所よりも我が家のほうが好きだというのはいい兆候だ。
これが父なる神の家について、私たち一人ひとりにも当てはまるとしたら、なんと恵まれたことだろう。

私たちがそう思えない理由は、そのことの喜びを十分に知らないからである。

J・B・ストーニー


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